わたしは「ちょっと変わっているね」とよく言われる子どもだった。
口数が少なく、いつもひとりでいた子どもだった。
自然が好きで、ひとりで小川に行っては、花を摘んだり、ザリガニを釣ったり、木の実を拾ったりして遊ぶことが好きだった。
「普通ね、ひとりじゃなくて友達と遊ぶものなんだよ」
「自然で遊ぶなんて、なかなか古風な女の子だね。ザリガニなんて釣って楽しいの?やっぱりちょっと変わってるね」

子どもの頃のわたしは、“普通”なんて曖昧なものは分からなかった。
窮屈な人間関係で、あれこれ気にして過ごすのが退屈だった。だから、自由を選んで、ひとりでいた。

自分の幸せに素直だったわたし。自然が大切な居場所だった

ゲームやテレビより、水の中にいる生き物が珍しくて魅力的だった。
花や木の実で両手をいっぱいにすると、美しいものに心が満たされて心地よかった。だから自然の中で遊んだ。

自分にとっての何気ない選択が、「変わってるね」の一言で、周囲から取り残されているように感じて、なんだか恥ずかしかった。
「どうしてわたしは変わっているんだろう?どうして、みんなと一緒になれないんだろう」
いつも思っていた。
「普通ってなんだろう」「普通ってなんだか羨ましい」
そんな想いから、自分のことが情けなく思えて、なるべく目立たないように、隠れるように過ごしていた。

今振り返れば、わたしは、“ちょっと変わっていた子どもの頃のわたし”が好きだ。
心の中に、“自分の幸せのコンパス”をしっかり持っていたと思うからだ。

“自分の幸せのコンパス”は、どんなことが、自分の心を満たすのか教えてくれるコンパス。
人の心はみんな同じではなく、十人十色。だから、幸せも十人十色。きっと、子どもの頃のわたしは自分の幸せに対して素直だったんだと思う。
“普通”というものさしで測られて息苦しさを感じていたわたしにとって、分け隔てなく接してくれる自然はなによりの居場所だった。
わたしは、もっとひとりひとりが、“変わっている人”でいいと思う。
みんな同じではないことって、すごく自然だと思うから。

変わっていても大丈夫。そんな自分を肯定してほしい

高校生になるまで1人を選んで過ごしてきたわたしも、おてんばな女の子との出会いをきっかけに、ちゃんと友達ができた。
25歳、現在のわたしは、ちょっと“変わっている”あったかい旦那さんと、楽しい毎日を過ごしている。

自分らしく過ごしていたからこそ、本当に気の合う人達と巡り会えたのかもしれない。
もしも、“変わっていること”で、葛藤したり孤独を抱えたりしている人がいるとしたら、あなただけが特別ではないよ。と声をかけたい。
きっと、多くの人がそれぞれに普通になれない自分を抱えて、人知れず葛藤しているものだと思う。

どうか、そんな自分を全肯定してみてほしい。あなたは自分に対して素直な人だ。
自分を肯定し続けたら、おのずと自分自身が、自分にぴったりの居場所に導かれるはず。
ありのままの自分、ありのままの他人。もっともっと“普通”に縛られない世の中になってほしいなぁと思う。

自分自身の幸せに対して、まっすぐでいれる、人それぞれの幸せを認めて尊重できる、自由な世の中になっていきますように。
そしてわたしはこれからも、“ちょっと変な人”でいつづけたい。