私はいじめられっ子で、大人しい子ども時代を過ごした。
中学に上がって物心がついても、正直友達と思える子は全然いなかった。
スマホを買い与えられたあとは、性格診断やら誕生日占いやら、色々してみた。
でも、自分とはどんな性格で誰でなんなのか全然わからない。
小さな学校という社会の中で、ひとりで、居場所がなくて、ひたすらTwitterで呟き続けた。
いいと思った音楽、とりとめもない希望と絶望、そのどちらでもない気持ちや、日常の全てを、ただただ、架空の、「私の全てを受け止めてくれる誰か」に話しかけるように。
誰もそのツイートを見なくても、世界に放出されて、浮遊する、それだけで救われた。

漠然と抱えた「孤独感」は徐々に減り、次は自分の殻を壊したくなった

まぁ、別に不幸じゃなかった。
日本に生まれて、普通の家庭に生まれて家族に愛されて、健康体で。
ただ、漠然とした、「孤独感」というものを抱えていたのだった。

高校生になって、地元では進学校といわれる高校に進んで、いい子が多く、友達もできた。
何もないし、相変わらずどこか満たされなかったけど、楽しい時間だった。
それまでほどは、深く自分の孤独感について考える時間は減り、箸が転んでも楽しいような時間を一緒に過ごしてくれたあの頃の友達のおかげで、少しずつ、自分の居場所とアイデンティティが確立されていったように思う。

そして私は18歳になって、少しだけ自由になった。
心の中ではどこまでも自由になったような気持ちになって、東京の夜の街でわかりやすく遊んでいた。
遊ぶと言っても、家に帰らずお酒を飲む、居合わせた知らない男の人と話して、奢ってもらう、それくらいだけど。
殻を、壊していった。
やり方なんてわからないまま、バカのままで、お酒の力を借りて、必死で、手探りで、人に迷惑もかけながら。

とりとめのない私の話を優しく拾い上げる彼の目を、忘れることはない

そして彼に出会った。
とにかく文字に起こすのも恥ずかしいような酷い姿を見せたにも関わらず、彼は私を軽蔑せず、受け入れた。
衝撃だった。
取り急ぎ入ったホテルで、何を話したかはあまり覚えていないけど、天井を眺めながら夜通し話した(その日、私は生理で、たしか真っ赤にシーツを汚してしまったという最悪なエピソードつき)。
彼は、側から見たらただ未成年を持ち帰ったやばい大人かもしれない。
6年後、私が彼と出会ったときの彼の年齢になったら多かれ少なかれそう思うと思う。
でも、あの日の彼の目をどうしても忘れることはできない。
きっと私は何歳になろうとあの人は純粋にただのやばい大人だった、とは思い切れない。

あんなに家族と親友以外の、しかも異性と、話したのは初めてだった。
彼はただTwitterに呟くようにとりとめもなく話す私を優しく拾い上げて、
「面白いね。俺に似てるところあるね」
と言った。

家族がいても、友達ができても、どこか満たされなかった「ある気持ち」がはじめて満たされていくような感覚になった。
その気持ちとは、誰かに私という存在をぶちまけて、お互い丸腰のまま思いきり衝突して、そして何もわからないままで、受け止めてほしい。
そう、「恋がしたい」という気持ちだった。
もっと言えば、「恋という言い訳の元で、ダメなままで私を受け止めてほしい」という気持ちだった。

仮の恋人との、ふしぎな心地よさと安心感に包まれた恋人ごっこの夜

現実的にみて、「私の全てを受け止めてくれる誰か」、そんな人はいない。
けど、恋人とは、それに近いのかもしれないというのが持論である。
色々綺麗事言うけど、ダメ人間でも、太っても、胸が小さくても、肌が荒れても、あばたもエクボで、愛しいと言って抱き入れてくれる存在が恋人だと思う。
ソースは主に自分だけど。

恋は盲目。
人はたしかに、弱さや、凹みに恋をする。
とはいえ、初めて会った見ず知らずの男に、その夜はたしかな恋も愛もなかった。
でもそれでよくて、キスをして、たくさん話をして、はじめて男性の体温に抱かれて眠った。
そんな仮の恋人との、ふしぎな心地よさと安心感に包まれた恋人ごっこの夜。
寝息を立てる彼の横で、
「こんなおかしな大人の男がふらふらと存在しているのか。この世界は、広いんだなぁ」
と気づいたことが私の人生の突破口だったように思える。
ありきたりだが、恋は孤独で閉鎖的な人生という価値観を変えうる魔法なのだ。

そのあと1年程奇妙な知り合いとしてずっと連絡を取り続け、自然と惹かれて、仮の恋人だった彼が、本当の恋人になった。
出会った頃の私はまったく知らなかった激しい恋の感情や、愛してしまったあとの地獄を嫌と言うほど教えてくれた。

彼と人生が交わった事実が、それだけで嬉しくて、幸せ。そんな思い出

そして、最後は弾き合うように別れた。
この一連の、過ごした時間を、きっと私は死ぬ間際まで鮮明に覚えている。
彼と別れた後は喪失感で、しばらく生きたまま死んでいた。あまりにも、多くのことを教えてくれて、存在が大きくて、インパクトが強い人物だった。
でも今は、もう大丈夫。
彼のおかげで、あんなに一人の人間にのめり込み、衝撃を与えられ、喜びと悲しみを感じて、人生が豊かになる感覚を知れた。
そんな自分が誇らしい。

彼のことでどれほど泣いたかわからないけど、憎んでない。
むしろ憎まれてるかな。
いや、憎むほど、私のこと好きじゃなかったかな。
ただ今日もどこかで生きていてほしい。
彼と人生が交わった事実が、それだけで、心底、嬉しくて、幸せ。そんな、思い出。

繰り返しになるが、ありきたりだが、恋は孤独な人生という価値観を変えうる魔法だ。
そしてそれと同時に、どこまでも自分以外の存在とはひとつになれないという現実を突きつけられ、孤独な人生という価値観を強めてしまう可能性もある、黒魔術でもある。
でも、私たちは恋することをやめない。
そんな愚かで愛しいわたしたちに乾杯したい。
今、恋をしているなら、恋した人を、恋したものを、消えてしまう前に、思い切り抱きしめてみませんか?