何度も殴られ、容姿を罵られた。私は母に支配されている
服屋で服を迷う。迷う、ひたすら迷う。そんな時、ふと脳裏に浮かぶ『この服着たら、なんて言われるかな』とか『また罵られるかな』といったネガティブな考え。
誰に何と言われる?誰に罵られる?それは、母親だ。
私は、物心がついたときから母親から虐待を受けてきた。いわゆる、言葉の暴力である精神的虐待と、物理的に暴力を振るう身体的虐待だった。
毎日寝るのが怖かった。寝てる間に殺されるんじゃないかと、本気で思っていた。本当に辛い日々だった。
何よりも、公共の場で殴られるのが一番辛かった。
通行人は、見ているはずなのに誰も助けてくれないし、恥ずかしくて変な汗が出るしで最悪だった。「見てないで助けてよ!」そう叫びたかったが、とても無理だった。確かに、直接声をかけるのは気が引けると思うが、せめて通報してほしかった。
結局通報されたことは一度もなかったが、誰かに通報される可能性があったのにもかかわらず、何度も公共の場で私を殴っていた母親は、私のことをよっぽど殴りたくてたまらなかったんだろうなと思う。
母親は、私の心を傷つけるのがとても上手い人だ。私自身が一番気にしていることを的確に、あらゆる角度からついてくる。容姿や体型のことなど、すぐには変えられない所から、話し方や食べ方まで私の全てを、母親のこうでなくてはいけないというルールで縛り付けていく。
「みっともない体。何着ても似合わないよ」
好きな服を着る度に母親から言われた言葉の毒は、私を未だに蝕んでいる。母親は、私を完全に支配していたのだ。
叶うはずのない欲を捨てて、これからは自分の人生を生きていく
母親に完全に支配されていた私が、捨てられないものは『母親に認められたい』という欲だ。
こんなにひどい扱いをされてきたのに?と疑問に思う方もいるかもしれない。こんなにひどい扱いをされてきたからこそ、私は母親に認められたいのだ。
思い返すと、母親に褒められたり認められた経験は数える程しかない。何か賞をとって、表彰状や盾でも貰わないと認められない世界だったからだ。
だからなのか、今でも私は賞に固執する部分がある。賞だけが全てじゃないことはもちろん理解しているが、賞をとれば母親に認められるんじゃないかと未だに思っている。
賞を追い求めすぎて疲れ果ててしまった私はある時、身の上話も含めて、現状を友達に相談した。
すると、友達の口から思いがけない言葉が出た。
「もう、自分の人生を生きていいんだよ」
思わず、涙が出た。
やっと気がついた。私は、母親に認められたいばっかりで、自分で自分のことを認められていなかったのだ。自分を愛せていなかった。自分の人生を生きていなかった。
この言葉をきっかけに、私は自分の人生を生きる決意をした。正直、長い間母親に支配されていた私からすると、自分の人生を生きるということはすごく難しい。でも、少しずつ自分を好きになることから始めて、ゆっくりでいいから自分の人生を生きてみたいと思っている。そうすることで、『母親に認められたい』という欲を捨てることが出来るかもしれない。
過去を変えることは出来ないが、未来は作れる。この先の長い人生、私は辛い過去と、満たされることのない欲望を捨てて生きていくと、決めた。