「大事に大事に育ててきたのに、“毒親”だと思ってたの?」

親からの過干渉に辟易し、自由に青春を謳歌する友人らが眩しく見えた高校時代、私は本屋で両親を泣かせてしまった。

当時世間では“毒親”というワードがブームになりつつあり、本屋では“毒親”をテーマにした書籍が特集を組まれ広く展開されていた。

過保護な両親。もしかして我が家も“毒親”なんだろうか?

友人と遊ぶ時は、常に私の両親が一緒だった。父が車を運転して友人宅へお迎えに行き、助手席の母も一緒にお喋りに混ざり、ゲームセンターも映画も一緒に居て、遊び終わったら友人宅へお送りしてから我が家へ帰宅するという流れ。

古くからの友人は私を“過保護の箱入り娘”と茶化しながらも受け入れてくれていたが、付き合いの浅い知人は驚き、ドン引きして離れる人もいた。

私には何が正しくて何が間違っているか分からなかったが「両親から強く愛されている」ことは認識していた。

しかし、テレビやインターネットで”毒親”というワードを知り、その意味や内容を見聞きするうちに「もしかして私の両親は“毒親”ではないだろうか」と思うようになってきた。

同じクラスの友達は、先週末バスで彼氏と映画を見に行ったらしい。
同じ塾の先輩は、昨夜仲間とカラオケでオールしたらしい。
最近よく話す隣の席の男の子は、今度男女グループで電車に乗り海へ行くらしい。

そういえば、いつのまにかみんな親と離れて自由に楽しんでいる。私は、どうして親とぴったり一緒にいるのだろう?

「噂で聞いたけどお前の家めちゃめちゃ過保護なんだって?」

思いきって両親に「今度は友達と電車で遊びに行きたい」と言ったら、両親と私と友人の4人で膝を突き合わせてボックス席に座り電車に揺られることになった。

虐待されているわけではない。
むしろ、ものすごく愛されている。

両親から大切に扱われていることを、それまでは何も思わないどころか少し誇らしく思っていたけれど、“毒親”を知ったあの日から何とも言い難い違和感を覚えるようになった。

周りから“過保護の箱入り娘”と茶化される状況を私が望んでいたんだっけ?

隣の席の男の子と流行曲の話題で盛り上がり、何気なく「カラオケ行きたい」と呟いた私の耳に届いたのは「噂で聞いたけどお前の家めちゃめちゃ過保護なんだって?カラオケデートも監視される感じ?」という言葉と乾いた笑い声だった。

うっすら芽生えた恋心が砂のようにこぼれ落ちるのと同時に、両親への怒りがふつふつと沸き上がってきた。

「毒親だと思ってたの?」母はすすり泣き、父は下唇を噛んだ

翌日の土曜日、近所の本屋へ参考書を買いに行った時に事件は起こった。

私が本屋で棚を眺める間、両親は私の背中にぴったりと張りついてくる。少しでも手を伸ばせばすぐに「それが欲しいのね。買うから渡して」と後ろから奪われる。

(“毒親”の本に手を伸ばしたら、自分達がおかしいって気付くかもしれない。よし、気付かせてあげよう。)

昨日の怒りが燻っていた私は参考書コーナーからゆっくりと離れ、ふらふら流し見るフリをしながら歩き続け、話題図書のコーナーで足を止めた。緊張しながら毒親の解説本を手に取った瞬間、後ろからすすり泣く声が聞こえてきた。

「大事に大事に育ててきたのに、“毒親”だと思ってたの?」

母が震えながらか細い声を絞りだした。父はしゃがみこむ母の肩を抱きながら下唇を噛んでいた。両親のこんな姿を見たくてやったわけではなかった。

“毒親”というワードに気持ちが引っ張られていた。過保護なのは昔から分かっていたし、もともとそこまで両親からの愛情を嫌だと思っていなかった。それなのに、聞き齧った新しいワードに少しでもかすっていたらヒットしたかのような感覚になり、両親を深く傷つけてしまった。

すっかり狼狽えた私は「いや、学校でこの本が話題だったからちょっと見ただけ」と咄嗟に答えてその場を離れたが、心臓はバクバクで手汗がびっしょり滲んでいた。

自分の子どもを大切に思う気持ちが、今なら痛いほど分かる

しばらく両親と目を合わせられなかった。「ごめんなさい」を言いたいけれど、謝ることで更に傷つけてしまいそうで、何も言えなかった。

そのまま大学進学と就職で自然と家族の距離は離れた。物理的な距離と同時に精神的な距離まで離れてしまった悲しさが、いまだに心の奥底に沈んでいる。

最近SNSやインターネットを見ていると、様々なワードを手軽に知ることができる一方、その情報の正確性や詳細な背景を知らずともそれなりに理解したつもりになって、自分の価値観に当てはめ勝手な解釈をして、そこから安易な発信を簡単に出来るようになってきた。それは違うだろうと思える持論を展開している人を見かけると、あの日の自分を思いだし胸がチクチク痛みだす。

お父さんお母さん
あの日、私の短絡的な思考で毒親扱いして傷つけてごめんなさい。
二人からの愛は、私にとって毒ではなく大切な宝物です。
たっぷり注いでくれた愛を、今度は私が自分の子どもに注いでいます。

自分の子どもを大切に思う気持ちが、今、痛いほど分かります。

本当にごめんなさい。

そして
愛してくれて、ありがとう。