家出の理由は祖母との喧嘩。強い怒りの感情だけは覚えている

小学生の時、家出をした。
両親が共働きだった私は、おばあちゃんっ子だった。学校から祖母の家に帰り、両親の仕事が終わるまで宿題をしたり夕飯を食べたりして過ごしていた。

ある日、夕食前に祖母と喧嘩をした。内容は些細なことだったと思う。覚えてはいない。その頃、やっと一般的な食事ができるようになったばかりの妹にかまいがちだったので、寂しかったのだと思う。
「こんな家、出てやる」
喧嘩の内容は覚えていないのに、そう強く思ったことは覚えている。
怒りだった。何に対する怒りかは覚えていないが、自分はそこにいなくてもいい存在のように思えた。

母の勤め先の病院へ向かい、そして大きなミスに気付いた

祖母が目を離している隙を見て、家をそっと出た。夕方だった。
心配してほしかったのかもしれないし、少し一人になりたかっただけなのかもしれない。私は歩いて母の職場に向かうことにした。
母の職場は同じ市内の大きな病院だった。オレンジ色の夕日で染まった道を一人でてくてくと歩いた。

無事に病院についたが、その時、自分の犯した大きなミスに気づいた。母の所属を知らない。職場が病院内にあることは知っていたが、病院内のどこの部署なのか、何をしているのか、何階なのか、何も知らなかった。
「どうしよう……」
大きな正面入り口の自動ドアを抜けて、私は途方に暮れた。夕方なので、人影も少ない。知っている人はもちろんいない。誰にどう聞けばいいのかわからないし、何より小学校低学年の私は人に自分の母親のことを聞けるほど肝が据わっていなかった。

とりあえず、病院内を散策することにした。もしかしたら偶然、会えるかもしれない。そう自分を勇気づけて病院内を歩き回った。
1階を見て回ったら、2階、3階と回ってみた。1周しても偶然の機会は訪れなかった。1周がだめなら2周目。この時の私は不思議と体力があった。

途方に暮れながらも怒りがまだあったのだと思う。なにかに理不尽さを感じていたのだろう、母に早く怒りを訴えなければいけないという感覚に燃えていた。
しかし、そんな感情もむなしく、2周しても母に会うことはなかった。さすがに疲れて待合の椅子に座った。

「これからどうしよう」
ぼーっとそう考えていると、電気が消え始めた。懐中電灯を持った看護婦さんが見回りをしている。
幼いながらも、営業時間があって仕事が終われば病院が閉まることは知っていた。母に会えないことよりも玄関が閉まって出られなくなるほうが怖かった。急いで正面玄関に向かった。幸い、自動ドアはすんなりと開いた。

私は日が沈んで街灯が点々としている道に出た。来た時とは違い、薄暗くて怖い。急に心細くなった。怒りが急速に小さくなっていく。そうなると忘れていた空腹が帰ってきた。
そう言えば夕飯も食べずに出てきた。空腹と恐怖心は幼い私を降伏させるには十分だった。
「家に帰ろう」
影におびえながら、早歩きで家に向かった。

心配してくれていた母親や先生。ことの重大さを知った

玄関のドアはなぜか開いていた。不用心じゃないかと思いながらドアを開けて家に入り、食べ物を漁っていると、玄関のドアが開く音がした。
見ると母が立っていた。見つけた食料を食べていた私は、悪事がばれたようで焦った。
母は私に駆け寄り、どこにいたのか、どうしてここにいるのかを問いながらも無事でよかったことと、みんな心配していたことを伝えた。祖母の家を何も言わずに出た私を、学校の先生や警察が探していた。

そのあと、母に連れられてみんなに謝罪とお礼をして回った記憶がうっすらとある。そこまで多くの人に迷惑をかけているとは思っていなかったので、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになり、きっかけとなった怒りはなくなっていた。

怒りについては覚えていないが、この時の恥ずかしさと申し訳なさは覚えている。特にその時の担任だった女性教師はすごい勢いで泣きながら私を抱きしめて、よかったと何度も言っていた。いつも笑顔の絶えない先生をそうまでさせるなんて、自分はなんて愚かだったんだろうと反省した。

この日は人生で初めて家出をする決断をした日でもあったし、もう二度としてはいけないという決断をした日にもなった。
今では家を出ても一人暮らしなので誰にも捜索されることはない。それでも大切な人たちに心配はできるだけかけずに生きていきたいと思う。