「あんたなんか大嫌い」
中二の頃、母から言われた言葉だ。何がきっかけで喧嘩したのかは忘れた。多分、私に非がある内容だったと思う。
この時期は母から「だらしない」とか「自分の部屋を掃除しろ」とかそういったことでしょっちゅう叱られていたのだ。でも私は反抗期もあって、叱られてもあまり言うことを聞いていなかった。

ただこのとき初めて、母から「大嫌い」と面と向かって言われた。正直、私はかなりこたえた。クラスの女子から無視されることより、男子から毎日罵倒されることより、母からのたったひとこと。
この言葉のナイフは鋭く私の胸に突き刺さり、抉った。

目の前の母がぼやけていく。何を返したかは覚えていない。血の繋がった家族から言われる「大嫌い」が、こんなに傷つくなんて知らなかった。ビンタされる方がマシだ。
気付いたら母はいなかった。涙は止まらなかった。

母と喧嘩をした後、父が私の部屋までオムライスを持ってきた

「コンコン」。ドアのノックでハッとする。気付いたら寝ていたらしい。少し開きづらい目と涙でガビガビな頬が、先程の出来事が夢ではないことを告げていた。
ドアを開けると、そこには父がいた。
「おばあちゃんがオムライス作ってくれたけど食べる?」
母は怒りのあまりそのまま寝てしまったらしい。私も食欲はなかった。
「全部食べられなくてもいいから食べな。終わったら皿は取りに行くから。お父さんはあっちでご飯食べているから、終わったら呼んでな」
そう言って父は、オムライスを置いて出て行った。
スプーンでひとすくい、口に運ぶ。口に広がるケチャップと卵の優しい味わい。枯れたと思った涙がまた溢れていた。

祖母が作ってくれた「オムライス」と父の「優しさ」が温かかった

父は料理ができない。だから祖母にご飯を作ってくれるようお願いしたのだろう。泣き疲れて寝ている私の分も含めて。
父は仕事帰りで疲れているのに、家に帰ったらこんな状態でどう思っただろうか。びっくりしたかもしれない。腹が立ったかもしれない。でも、何も聞いてこなかった。
一人にしてくれたこともありがたかった。でも、独りじゃないような気もした。

祖母が作ってくれた美味しいご飯と、自分も疲れてお腹が空いているだろうに、ご飯のことだけ気にかけて、そっとしてくれる父の優しさが温かかった。母から言われた言葉を思い出し、そして言うことを聞かず母を怒らせたことに胸が苦しくなった。
食欲がなかったはずなのに、スプーンを持つ手は止まらなかった。時々心なしかしょっぱいときもあったが、完食する頃には涙は止まっていた。
このオムライスの味は一生忘れることはない、今まで食べたオムライスの中で一番美味しく温かかった。

謝らなきゃと思っていたのに、母に「ごめんね」と先越されてしまった

翌日の朝、制服に腕を通す。一度、深呼吸をしてドアを開けた。部屋の外に出ると、私の朝ごはんと仏頂面の母が目に入る。
「おはよう」と、いつもは明るく挨拶をしてくれる母だが、今日は少しぶっきらぼうだ。
「おはよう」と、私も返す。
すると母が「昨日はごめんね。お父さんに怒られちゃった。『大嫌い』は言っちゃダメだって」。ああ、謝らなきゃと思っていたのに先越されてしまった。

そして、父の優しさにまた涙が出そうになる。ダメだ、今泣いたら目を腫らして学校行くことになってしまう。泣き顔も母には見られたくはない。急いで下を向き、少し早口に言う。
「私もごめんなさい。いただきます」
もっとちゃんと言うこと考えていたのにな。ああ、いつもの母の味だ。
「昨日ね、お母さんの職場でね……」
仲直りの会話はたったこれだけ。昨日の喧嘩が嘘のように、普段の会話が始まった。こんな終わりでいいのかと思う反面、これがいいと思った。

そんな喧嘩から、今はもう十年以上経つ。あれから「大嫌い」は一度も言われていない。私の好きな料理は今もオムライスだ。