「魔性の女」。かつての私は、この言葉に振り回されて生きてきた。

この言葉を初めて聞いたのは、15年程前である。いつもわかりやすい言葉で話しかけてくれていた習い事先のお姉さん先生から、急に難しい言葉が出てきた為か、印象に残っている。
私はその言葉について帰宅後に辞書で調べた。辞書を何冊もはしごしてわかったことは、「人を惑わす性格」「悪魔の持っているような気質・性質」という意味合いだということ。
あまりにも抽象的でわかりづらかった。しかし、幼かった私は、この言葉の意味を明確に理解する必要があると思っていた。
お姉さん先生からの「たぬきちゃんは魔性の女の雰囲気が出ているね」という言葉。先生の言葉を字義通りに捉えたら悪口だ。あの優しい先生が私に対して、そんなことを言うはずがない。
私は先生の言葉の真意を見つけるために必死に調べ続けた。しかし、実態がつかめず断念した。

初恋の相手は私を「魔性の女」と言い、サロメの小説を渡した

高校生の時、私は再びこの言葉と向き合った。きっかけは、かつて好きだった初恋相手からの言葉。
「お前は魔性の女だ。サロメみたいな行動はするなよ」
その時、彼からオスカー・ワイルドの著書であるサロメの小説を渡された。私は彼から魔性の女について知るヒントを与えられたのである。少しずつサロメの人物像を探っていく。探るにつれて、私自身とサロメの共通点が見えてきた。
家庭環境の影響で心の発達が遅れているところや、好きな人が出来たら周りが見えなくなり、手段を選ばなくなり、迷惑をかけてしまうところ。しかし、いずれも辞書に書いてあった魔性の女の字義とは程遠い特性だ。だからどうしても腑に落ちなかった。

その後、私はインターネットで「魔性の女」と呼ばれている女性について片っ端から調べていった。そして、最終的に大まかな共通点を見つけた。
「男女関係をはじめとするトラブルメーカーで、自由奔放で周りを振り回す性格」「恋愛においては、男女どちらから見ても脇役・悪役的な存在」。考えがまとまった時、私は初恋相手に我儘でおそろしい女だと警戒されているのではないかとショックを受けた。
誤解されたら困るので、本を頂いた次の日から、ちょっぴり行儀よく接してみた。でも、彼に悪いことをしてきた心当たりは無いから正直困った。そして、少なくとも彼との恋愛において、正統派のヒロインになれないことにひどく落ち込んだ。

私が無意識な行動が、回り回ってそう呼ばれる原因になっている

先日、何年もお世話になっている大学院の先生が「たぬきちゃんは色んな人から魔性の女って言われない?」と仰った。
私は思い切って先生にどうしてそう思うのか尋ねた。先生は簡潔に答えてくださった。

男女問わず心身の距離感が近いところ。男性に対しては年齢関係なく頼み事をしたり気軽に会話をしたり、甘え上手なところ。会話中、相手の目を見続けるところ。結果、私を可愛がり尽くしたくなってしまうのだという。
最後に先生は、「多かれ少なかれ男性は優しくされたら、勘違いをしてしまうから、無防備なたぬきちゃんは気をつけなさいね」とアドバイスをくださった。先生からの言葉は、私を絶対的なヒールから、ただの女の子に戻してくださった。

「魔性の女」の言葉は、決して私が悪いことをしているから付けられたのではない。私が無意識に行っていたことが、回り回って何かが起きてしまうことで付けられたのだ。
しかし、私は悪いことはしていないとはいえ、トラブルを起こさないために行動を改める必要がある。先生からアドバイスをいただいて以来、異性との会話の際は距離感を意識するようになった。私の中の魔性の女の要素を自覚して以来、周囲でトラブルが起きることは少なからず減った。

正統派のヒロインになれないなら、相手を振り回す方が清々しい

私は、恋愛においてはやはり正統派のヒロインでいたい思いがある。フィクション作品では決まってそのようなタイプが恋の相手に選ばれる。異性からの人気も高い。
そして、私のようなコミュニケーションをとるタイプは恋愛の過程において、意中の相手から魔性の女だと警戒されてしまったり、畏れられたりしてしまう。明らかに不利だ。しかし、正統派ヒロインの皮を被って恋愛をするのは、きっとボロが出てしまうだろう。
それならば思い切って一直線に相手のことを追いかけて振り回した方が、いっそ清々しくて良いのかもしれない。万年脇役のポジションの悲しみも徐々に吹っ切れていった。

そんな悩ましい私にも、恋人ができた。私はその恋人からなぜか「悪女」とよく言われている。しかし、私を心の底から大事にしてくれている。
魔性の女でもヒールでも、誰かのヒロインになれたのだ。決して万人受けでない私は、彼に大事にされる嬉しさと感謝をかみしめて今日を過ごしている。
私にとって「魔性の女」の言葉は怪物でも悪魔でも何でもない。ヒロインには決してなれない呪いの言葉でもない。ただのあり方である。