欧州で留学中。コロナによるロックダウンが迫っていた

「何があっても、留学期間は一年間です」
卒業要件に一年間の交換留学を課す大学に所属していた私は、こんなはなむけをもらって、とあるヨーロッパの小国に降り立った。

だが、七か月目に入ったころに「帰ってくるなら早く帰ってきなさい」という通達を受けた。何があっても一年のはずだったのに、自分の意思で、中断か継続かを決断するよう迫られた。
コロナウィルスのパンデミックが始まろうとしていたのだ。

ヨーロッパ諸国がロックダウンだ、入国規制だと騒ぎ始めるまで、私の大学は事態をそんなに深刻にとらえてはいなかった。日本から来ていたほかの留学生が続々と帰国する中で、私の大学だけは留学を継続するよう指示していた。

しかし、都市間の移動と国境をまたぐ移動を制限する、という通達が各国から出されて、事態は一変した。
ロックダウンの予定が発表された日、あれだけ「一年は外国にいろ」と言っていた大学が、「帰りたければ今です」と連絡を寄越した。国際線の大幅な減便や空港の封鎖、そもそも空港への移動が容易でなくなるかもしれないから、帰りたいのなら帰れるうちに帰ってきなさい、と。

その連絡をもらった日、ものすごく目がさえて眠れなかった。

「攻撃」されるのは自分かも。ニュースを見て、帰国を決めた

留学は一年間の予定だったから、やり残したことはたくさんある。でも、よくわからない謎の病気が流行る(かもしれない)中で、自分のやりたいことが思うようにできるとも限らない。そもそも自分がこのよくわからない肺炎になって、留学先の国で入院するのだけはごめんだった。

国際線が飛ばないのは、いつまでなんだろう。本来自分が帰る予定だった日には、飛行機は飛んでいるだろうか。家族は帰ってきたらと言っているけれど、帰ってしまったら授業はどうなるんだろう。
ぐるぐるぐるぐるいろんなことを考えて、考えて、ふとネットニュースを開いたとき、こんなニュースが飛び込んできた。

イギリスで、中国系の人が「コロナ」と言われて塩酸をかけられた。

まだまだコロナウィルスを「武漢ウィルス」と呼んでいたころで、コロナウィルスは中国から来たものだから、中国からの移動を辞めさせるべき、みたいな論調が強かったころだ。
しかも、春節でたくさんの中華系の人が移動をして、ヨーロッパのあちこちの保養地や観光地で患者数が激増していたから、それらしい人を見て恐怖心を抱く人がいてもおかしくなかった。
だからと言って、攻撃するのは間違っているけれど。

でも、私は帰ろうと思った。ヨーロッパの人から見れば東アジア系はひとくくりに「チャイニーズ」なのは、七か月で身に染みてわかっていたから。塩酸をかけられるのは自分かもしれない、と思ったら、非常時に異国にいることは危険だ、と判断した。

あんなに日本が窮屈だと思って留学したのに、帰ろうと決めたときはほっとした。なんだかんだ、自分の国がいいのだ。安心できる。

そうして私は、ロックダウン前の最終便に飛び乗って、留学先を後にした。留学準備には半年以上を費やしたのに、帰国準備は半日だった。