あ、また来たか……。嫌だなぁ。
寝る準備をしていると、右目の違和感に気づいた。わたしは免疫が低下すると目に不調が表れる体質らしく、よくものもらいが出来る。2日か3日で治ることが多いが、コンタクトは付けられないし、瞬きする度に生じる違和感はとても好きにはなれない。

電気を消し、ため息をついてベッドに入る。
あー、痛い。
慣れた痛みだけど、痛い。
出来る対策はしていたつもりだから悔しい。
一度眼科で相談した方がいいな、と頭の中で呟く。

寝ようとしても、目の違和感が恐怖に変わって寝つけない

目をつぶって寝ようとするが、なかなか眠れない。それは目の痛さも理由の一つだが、「いつもと違う」ことの違和感がきっかけになって、もやの中を歩いている感覚になってきた。

ものもらいが悪化したらどうなるんだっけ……。
何か悪い病気があったりするかな……。
余命なんとかって映画があったけど、わたしは後どれくらい生きるんだろう……。
寝ている間に目に異変が起きて、まぶたがくっついて離れなくなったらどうしよう……。

怖くなって、目を開けた。
明かりのない部屋で、わたしだけがいる。
なんだか不安で仕方なかった。

今わたしの目はどうなっている?
もうだめなんじゃないか?

部屋の電気をつけた。
ベットの近くに鏡はない。
枕元に置いていたスマホを取って、インカメラで自分の顔を撮った。
もう一枚、目はアップで撮った。
視力が悪いから、画像で確認するしかなかった。

そこにはいつもの顔と、いつもの目があった。
目頭が少し赤くなってはいたが、ほとんど腫れてもいなかった。
そりゃそうだ。
なにやってんだろ。
もう時刻は、3時近かった。

わたしは1人だけれど、この世界は人との繋がりでできている

思えば、新型なんとかっていうウイルスがあるらしい、という会話が聞こえてきてから3年になる。
今となっては「コロナ」「PCR検査」「抗原検査」「濃厚接触者」「重症化リスク」、こんな言葉を当たり前に使う。
全ての病気が治るものなんて思ってなかったけど、未知であることは恐怖に繋がり、わたしは自分や大切な人をどの程度まで守れるのか、自問自答の日々だった。
昨日も生きたように今日も当然に生きて、明日以降もそれが続くと、子どもの頃は信じて疑わなかったはず。
生きていること、それも昨日と変わらない状態であることは、当たり前ではないのだと痛感する。
「いつもの顔」「いつもの目」、これはいつまで続くだろう。
大切な人たちはずっと、「いつもの顔」でいてくれるだろうか。
わたしは何が出来るのだろうか。

電気を消した。
また暗闇になった。
わたしは1人だ。
そういえば少し前に停電が起き、インターネットも繋がらなくなったことがあった。
街中の光がない景色は、ただの黒で、本当の暗闇を見た気がした。
あの時わたしは、本当にたった1人だった。
1人は無力だけれど、どこか清々しい。
何も出来ないことは、清々しい。

ものもらいになっただけで落ち込むのは、わたしは1人ではないからだ。
朝になれば仕事に行く。
眼鏡ではマスクが曇り、パソコンの画面は見づらいし、「あれ、イメチェン?」という絡みに付き合うことになるし、静養したくても働かないといけないからだ。
わたしはこの社会に生きる以上、1人にはなれない。
身の回りのもの全てが「誰かが」作ったもので、口に入れるもの全てが「誰かが」関わっているものだから。
人の繋がりが重なりに重なり、生きていられる、それはズシッと重い。
ああ、だけど多分これが「生きる」ことだ。

気づけば、右目の違和感を忘れていた。
さあ寝よう。
明日のお弁当は何入れようかな、とりあえず今日の夜ご飯の残りと……。

いつの間にか、眠っていた。