大人になって気付いた。「私だけじゃない」ということ
眠れない夜には、いつも「孤独」があった。
就活が皆より上手くいかなかった夜、元夫が帰ってこない夜、転勤先で家族や友達に会えなくて寂しかった夜。
いつも私だけが眠れなくて、皆は今日も順調な日を過ごしてゆっくり眠れているものだと思っていた。
でも、大人になって、沢山の情報に触れてみてやっと分かる。
全ての夜に、眠れない人がいる。
一人で孤独に耐えながら、夜の街の灯りを見つめている人がいる。
寂しさとか、不安とか、誰にも打ち明けられない想いを抱えながら、朝が来るのを待ってる人がいる。
皆それぞれの孤独を生きている。
孤独じゃない人なんて、この世界にいない。
愛や友情や命に終わりはくるけど、孤独だけは、永遠に終わらない、誰もに与えられたものだと。
SNSの無防備で正直な発信に、不思議と深く癒された
それに気づかせてくれたのは、親でも先生でも上司でもすごい会社の社長でもない。
どこの誰かも分からないSNSの住人だった。
どこの誰かもわからない人の、「寂しい」や「虚しい」に、不思議に癒された。
その癒しは、発信者の不幸を喜ぶような暗い喜びではなく、この夜に、私以外の人が同じような気持ちで生きていて、皆戦っているんだという何でもない事実への驚きだった。
世界のどこかで同じように眠れない人がいる。
そして、その人は今、どこかでちゃんと生きていて、今寂しいってことを発信してる。
その無防備さや正直さに、本当に不思議なことだけど、深く癒された。
昔だったら関わるはずのなかった誰かの寂しさが、SNSを通して私に届くこの時代に生まれてきてよかった。
私以外にも寂しい人がいてくれるって分かるだけで、こんなに癒されるなんて、SNSはノーベル平和賞をもらった方がいいよ。
だから、私もどこかで寂しい想いをしている誰かに届いたらいいなという気持ちで、ネット上に正直な気持ちを発信するようになった。
眠れない夜は、前に進むための気付きを得られる機会なのかも
そうやって自分の心の奥底の気持ちと向き合うようになってみて気づいたのは、孤独で眠れない夜が意味するのは、私が以前自分で蓋をしたネガティブな気持ちが、SOSを発信してるんじゃないかってこと。
見てみぬふりしてきた不満や悲しみが「向き合ってほしい」と声を上げているんじゃないかって。
だから、孤独で眠れない夜というのは、たまたまやってきた最悪な夜なのではなくて、見て見ぬふりをしていた私のネガティブ達の声が聞こえる、全然癒されないし辛くて厳しいものだけど、自分と強制的に対峙させられ、前進のための気づきを与えてくれるボーナスイベントだと捉えたい。
だから私も発信し続けたい。
不調な時こそ、発信したい。
まずは自分自身のために。
そして同じように眠れない誰かに、奇跡的に100回に1回でも届いてほしい。
何の役にも立たない、ただの一方的な発信だとしても、誰かがそれを見て、「私だけじゃないんだ」と少しでも安心してくれたら嬉しい。
人を癒すものは、順調でキラキラした人生ではなくて、誰に向けたものでもない、何の狙いもない、誰かの素朴な正直さなんだから。