次の日に早朝アルバイトがある。今から眠ったとしても4時半に起きれば3時間しか睡眠ができない。瞼を閉じようとしても頭がさえて仕方なかった。家の前を通り過ぎる車を数えていた。
眠れない理由は単純だった。昼間にコーヒーを飲みすぎたのだ。紙パックの一リットルサイズを一人で空にした。それも半日足らずで。

アルバイトの掛け持ちに、課題に、サークル、それから家族のこと……。私の頭を悩ませるものはたくさんある。その悩ませるもののうち、自分では解決できないものが家族のことだった。
解決できないからモヤモヤしたままあり続ける。ストレスだった。積もったストレスは疲弊という形でわかりやすく姿を現した。以前であれば暴食で昇華していたが、大学生ということもあり見た目も気になる。だからやめた。

我慢して飲んでいたコーヒーが、我慢の前に飲むものに

元々コーヒーは好きではなかった。子どもの頃に舐めたビールの泡と同じくらい、味の良さがわからない。飲み始めたのは中学生の頃。定期テストや受験勉強で眠くならないように飲むべきだと母に勧められた。
確かにそうだった。美味しくはないけれど、頭がシャキッとしてはかどった。一種の麻薬だった。
徹夜で課題をするときにコーヒーを飲んだ。
授業で眠らないようにコーヒーを飲んだ。
ちっとも良さがわからない。味の違いもよくわからない。それでも飲み続けた。これさえ飲めば、という意識がこの時すでに定着していた。

いつの間にかコーヒーは、我慢の前に飲むものとなっていた。
日が増すにつれ飲む頻度が高くなった。いちいち湯を沸かしてドリップコーヒーを注ぐのが面倒だと思い、スーパーで一リットル84円のコーヒーを買うようにした。
早朝アルバイトから帰ってきたら大学の課題をしなくちゃいけない。提出課題は最高評価が欲しい。でも眠い。だからたくさんコーヒーを飲む。夕方になったらまた別のアルバイトへ行く。

コーヒーをやめるべきだとわかっている。しかし、やめられない

ある日、自制できないほど手が震えて、椅子から立ち上がるとめまいがした。床が反転してしまったのかと思った。そのうち吐き気が加わり、「何かがおかしい」と思い始めた。
幼稚園から現在まで、皆勤賞で学校へ通っているのだ。健康には自信がある。最後に具合が悪くなったのは2年前の熱中症が最後だったのに。
調べてみると、カフェイン中毒の症状に当てはまった。

コーヒーをやめるべきだとわかっている。しかし、やめられない。やめたらおそらく寝てしまうし、そうなれば一日のタスクが崩れてしまう。結局、体調不良は5時間ほどで治まったのでアルバイトへ行った。

このときから、コーヒーをマグカップ一杯以上飲むと症状がみられるようになったが、逆にこの症状がないと、自分が頑張れていないような焦燥感が頭を埋め尽くすようになった。
嫌なことの前、面倒なことを乗り越えた後、一日に摂る水分の大半はコーヒーだった。カフェインの効きが悪いと量を増やす。自分を満たすために飲む。
ここ最近、たった数週間で3キロ瘦せた。食べる量も運動量も変わっていないのにも関わらず。いつもなら体重計の数値に一喜一憂するが、減量を喜べなかった。これは不健康な瘦せ方だとわかってしまった。
もしや依存症に片足を突っ込んでいるのではないか。この状態が続けば、おそらくアルバイトや課題どころじゃなくなる。

これは依存だ。もう自分でどうにかできる段階じゃない

このエッセイを書いている今もコーヒーを飲んでいて(エッセイを書くのが嫌というわけではないが、冴えていると文章を書くスピードが上がる)わかっていてもやめられないという状態。
ここまでの文章を読み返した。前言撤回。これは依存だ。
これはもう自分でどうにかできる段階じゃない。友人に語るには内容が重い。家庭環境を含む諸々の事情を大学のカウンセラーに相談することに決めた。
誰かが私のコーヒーをノンカフェインのものにすり替えてくれたとしても、錯覚で症状が出るんじゃないだろうか。