「エゴ」「ソクバクだ」と不仲な二人は乱闘し、剥製の前で睦み合った

ひょんなことから、鹿の剥製の目の前で男となんやかんやをする運びとなった。
これを読んでいる方々の中で、鹿、あるいは何かしら動物の剥製の目の前で、同様の経験がある人はいるだろうか。いや、いないだろう。
あれは、もう4年も前の話になる。私は当時大学2年生、20歳だった。
お付き合いさせていただいていた男も同じく大学2年生の20歳。私たちは文学部で国文学を専攻していた。
大学に入ったばかりの頃、私は右も左もわからなかった。要は男について。
何せ、中高6年間、女子校へ通っていたのだ。「男」というものの記憶は、まだ背は低く、声は高い小学6年生の時点で止まっていた。
それがどうだろうか。たった6年で、彼らは全く異なる者へ変わり果てていた。むしろ彼ら男とは、第一を我々女、第二を少年とすると、第三の性であった。
件の男は線の細い男で、雄々しさの欠片もない人だった。古い映画によく通じ、それをきっかけとして私たちはすぐに交際関係を結んだ。大学1年生の初夏のことである。
まあ、どうにもうまくいかなかった。エゴだ、ソクバクだ。いや、これは愛か……、等々。気がつくとめちゃくちゃだった。
今から考えればすぐに別れればよかったものを、なんと大学3年生へ進級する一歩手前まで続いたのだから恐ろしい。
所属していた国文学専攻は、大学2年生の春休みに万葉旅行というカリキュラムを組んでいた。万葉集をテーマとして、奈良のあたりを教授陣の解説付きで共に巡らせていただく。2泊3日の行程だった。
男とやっとのことで苦労してお別れしたのは、万葉旅行のひと月前。任意参加のためお互いに相手は来ないものだと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。
2日目の夜、宴会場でついに目と目が火打石を合わせたかのようにぶつかってしまい、その瞬間終わりの始まりのゴングが古寺の鐘のごとく鳴り響いた。事情を知らない同級生たちを巻き込み、怒鳴り合い、殴り合い。しまいには、彼はビール瓶を振り上げ、私は障子襖を外すあり様だった。
しかし、不思議なものでこのような大きな災難が起こると、台風一過よろしく晴れて良い方向へ舵は切られるものだ。
私たちはかりそめに打ち解け合い、お互いにお互いしか存在しえない盲目的空想の中、しっかりと手を繋ぎ旅館内を散歩した。このような展開を目にした当時の同級生の中には「よかったよかった」と笑う人もいれば、「ふざけるな、いい加減にしろ」と怒る人もいた。いやはや、彼らにはこの場を借りて謝辞申し上げなければならない。
そして冒頭の夜が帳を下ろした。
ビードロとでもいうのだろうか。剥製の目玉はもちろん偽物らしいが、鹿の目は妙に妖しく光っていた。へたった黒革のソファーに押し倒されながら、なるほど。古都の月の光と男女の睦み合い、マリアージュは嘘っぱちの小さな鏡の中に妖しく映る。簡単な歌ならば詠めそうだ。そうぼんやり鹿と目を合わせながら考えていると、いつの間にか男は私の内側で果てていた。
これほど眠れない夜が、これまで、そしてこれからも訪れることはおそらくないはずだ。
忘れたい夜である一方、忘れられない夜でもある。
古にありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寝ねかてずけむ(『万葉集』巻4、柿本人麻呂)
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