彼のアパートでのんびりしている時、「ちょっと話がある」と切り出された。
前の月に結婚をほのめかされていたので、私はいよいよプロポーズされるつもりでいた。よし、心の準備はできてるぞ。
彼は続けざまに「あのさ、別れたいんだよね。てか口臭いよ」。今日どこ行く?くらいのテンションで言ってのけた。
プロポーズじゃないの??口が臭いのは昼にニンニク増し増しラーメン食べたからだよ?アナタと一緒に!
高らかに鳴り響くは結婚式場の鐘でなく、戦いを知らせるゴングの音色だった。 8年付き合っていた男と夜通し二日にわたる死闘は私の判定負け。『あしたのジョー』でお馴染みのジョーが、世界一の男であるホセ・メンドーサに敗退したように私も敗けたのだ。燃え尽きたのだ。真っ白に。
彼は別れを告げるにあたり、「価値観が違う」「ときめかない」「遠距離が辛い」「浮気してた」「タイミングが悪かった」と、ご丁寧にさまざまな理由を並べた。
私からすればどれも別れの理由ではなく、建設的に話し合うべき問題だったが、彼は頑なに拒絶するだけだった。つまり私と問題の擦り合わせをする気はもうないのだ。
世界一弱くしてくれた彼を失って、か弱い子猫は女豹に変貌
大失恋して、ウソ偽りなく言うと死にたくなった。重すぎて友達やSNSにも吐露できない心境を、ネットの検索フォームに打ち込もうとした。
変換ミスで「死に体」と検索してしまった結果、それが相撲用語で"姿勢のバランスが崩れた状態"を指すことを知る。自分にぴったりな言葉でクスッと笑えた。相撲用語グッジョブ。
感情の機微を汲みとることに長けていた彼は、私を世界一弱くしてくれる存在だった。私は気まぐれで彼を振りまわし、甘えたくなれば彼の膝に乗り、して欲しいことがあれば目で訴える、彼の前では保護されるべき一匹の子猫でいられた。別れの本当の理由は、私が長きに渡って自立できなかったからだと思う。
恋人を失って増えた時間は、自然と他のものへ分散されていく。家族、友人、新たな交友、仕事、趣味。彼一色の世界も居心地は良かったが、外はもっと広大で色彩豊かだった。
それでも人恋しく枕を濡らす夜、またぞろ『あしたのジョー』でお馴染みの段平トレーナーが夢に現れる。「立て!立て!立つんだジョー!!」と脳内で叫ばれ、飛び起きること寝覚め悪し。
そんなことを数ヶ月も繰り返していたある日、か弱い子猫ちゃんは女豹に変貌していたのだ。私のことである。
敗けても敗けても、私は女豹となって恋愛というリングに立ち続ける
あれから5年も月日が経ち、依存する相手がいないと歩くことすらままならない子猫は完全に消えた。自分で狩りをして、好きなものを食べ、好きな服を着て、好きなことをする。これが女豹の生き様じゃ。
彼と別れた直後、自分史に残るモテ期がきたことから、か弱き子猫ちゃんの需要は一定数あると認識した。今となっては奥義"女豹ポーズ"を決めても全く、全くモテない。
しかし子猫ちゃんに戻るつもりはない。たとえ世の男から需要がなかったとしてもだ。
恋愛を諦めたわけでもない。人間関係の儚さを知った。自分の心の脆さや愚かさを知った。別れまで含めて、彼との関係は私を自立へ導いた。
酸いも甘いもすべて血肉と変え、私は女豹となって尻尾を振り、次なる獲物を待ちわびている。
バイタリティあふれる女豹に遭遇し、男たちは風のように逃げていく。されど何度だって恋愛というリングに立とうじゃないか。挫折と苦悩を繰り返し、燃え尽きるまで戦ったジョーなら共感してくれるだろうか。
敗けても、敗けても、私は本能の赴くまま人を愛さずにはいられないのだ。