その訃報をテレビの画面ではじめてみた時、何をいっているのか、全く意味がわからなかった。
「死去」とはあるけれど、その小学生でもわかる単語の意味が、一瞬思い切り頭を殴られたみたいに脳から抜け落ちてしまっていた。それくらい衝撃的だった。
そんなまさか。でも確かにニュースにある文字は「訃報」で、彼女の名前の前には『故』とあり、そして年齢は享年になっている。
じわじわと鈍痛みたいに、この世に彼女はもういないんだと理解し始めると、今度は「なぜ彼女は死んでしまったのか」が込み上げてきた。
彼女がメジャーな団体に活動の場所を移し、活躍していることは知っていた。
だから彼女が死ぬ理由が思い当たらなかった。まず思いついたのは事故。交通事故にでもあってしまったのだろうか……緊急事態宣言前に試合をしてるのを雑誌で見たから病気ではないだろうし……と頭をひねっていると、ニュースを告げるキャスターはとてもよい滑舌で、「自殺と見られます」と続けた。
彼女は自ら命を絶ってしまっていた。
2020年5月23日、女子プロレスラー木村花選手は逝ってしまった。
現像した写真。笑顔の彼女の後ろでポーズを決めるファンのひとりが私
私は高校生の頃からアルバムを作っている。
高校生の頃学校行事の撮影をし、1年の思い出を記録する委員会に属していたことがきっかけだ。
写真をデジカメで撮って、それを写真屋さんで現像して、1枚1枚コメントを書き込みつつアルバムにファイルするのだ。
当たり前の繰り返しに思える毎日だけれど、今は決して永遠じゃなくて、何気ない今日が懐かしくなる日も来るかもしれない、いや、きっとくる。
人間の記憶は強いようでとても脆いので、覚えているようですぐ忘れてしまう。忘れたくないと思っていても忘れてしまう。でも写真やアルバムがあれば脳から零れ落ちてしまったこともそっと拾い上げるように1枚、手に取ればその日に帰れる。
『2018年』とあるそのアルバムをパラパラめくる。
その中には自分が撮影したもの以外もある。そのうちの1枚が、ふたりのプロレスラーがリング上で観客席をバックに自撮りをしたものだ。
それは木村花選手と朱崇花(あすか)選手。
日付は2018年9月16日。
朱崇花選手の「私自撮りすきなんで皆で撮りませんか!?」と呼び掛けにより撮影され、彼女らのSNSに掲載されたものを保存して現像したのだ。
満面の笑顔の木村花選手らの後ろで、拳を突き上げたポーズを決めるプロレスファンのうちのひとりが私だ。
「プロレスラーと映ってる写真なんて凄いな、手元に形に残しておきたいな」位の気持ちで現像したけれど、彼女がこの世界からいなくなってしまってからは、その写真を見ると楽しかった観戦の記憶と共になんともいえない、この日に戻れれば……という気持ちになる。
今でも悔やんでいる、話ができなかったこと。彼女の存在は唯一無二で
その頃私は仕事のサービス出勤と残業に追われ、あまりプロレス観戦にいけていなかった、だからこそたまにいくプロレス観戦で生きる活力を補っていた。でもあれだけたくさん活力を貰っていたのに私は何も彼女に返せていない。
彼女の試合もすべて見ていたというわけではない。
でももっと彼女の試合を無理してでも見に行けばよかった、仕事なんて休んでもいいから。
プロレス界は選手とファンの距離が近く、物販などでグッズを買ったり少し話したりできる。中には選手に顔を覚えてもらって選手から「あ、〇〇さん!」と呼ばれてる人もいる。
でも私は凄くはずかしがり屋で、10代の頃からプロレスファンなのに物販でいざ選手を前にすると緊張して上手く話せなくなるので、いつも物販は選手じゃなくスタッフさんから購入していた。
だから花選手がこの世界にいた頃、花選手の物販を眺めつつ、彼女から直接グッズを買ったりお話をできなかった……その事を私は今でも悔やんでいる。
彼女はこれからも当たり前のように存在し、活躍し続けると思っていた。だから話しかける勇気が出なかった。それなのに彼女がいなくなる日がこんなに早く来るなんて思っていなかった、それも引退ではなく死という形でなんて。
彼女がとても将来有望なプロレスラーであるということは、観戦した試合から充分に伝わっていたし、彼女の試合には魅せられていた。
パワフルで勝ち気なファイトスタイルでありながら、ニコッという効果音が聞こえてきそうな見せる笑顔は可愛らしさがあって、その存在感は唯一無二だった。「花」。名は体を現す、なんて言葉があるけれど、その通り花があった。目鼻立ちがはっきりしていて、笑うと本当に花が咲くような愛らしさがあった。
没後すぐに覗いたSNSには文字にするのもおぞましい言葉たちが
最近は海外のリングで活躍する日本の女子プロレスラーも多くいるから、花選手もきっとこれから今以上に大きな花をプロレスラーとして咲かすのだろう……と海外に行きベルトをとったりする未来予想図を、後楽園ホールのオレンジ色の背もたれにもたれながら勝手に思い描いていた。
そんな彼女が自ら命を絶つなんて信じられなかった。それもまだ22歳。
私はプロレスラーとしてのリング上での木村花選手しか知らなかったので、恋愛リアリティーショーに出演していたことも、そして番組内での言動で炎上していたなんて、訃報を伝えるニュースを見るまで知らなかった。
だからどれほど酷い言葉が彼女に投げかけられていたかを、没後すぐに覗いたSNSをみて驚愕した。
「お前が死ねばみんな喜ぶのに」
「いつ死ぬの?早く死ね」
「まだ生きてるの?あんたの存在不愉快だから早く死んで」
「死んでくれてありがとう!」
こうしてエッセイとして文字にするだけでもおぞましいし、躊躇われる、誰かに向けて言い放つなんてありえない言葉が数多く並んでいた。
誰が言っているのかはわからない……無機質なアイコンと短文のプロフィールしかないアカウントは性別や年齢すらわからない、まるで異質で不気味な生き物のようで寒気がした。
この画面の向こうに本当に人がいるの?
いるとしたら、どうしてこんな酷い言葉を掛けられるのだろう……。
暫し呆然とした。そしてその言葉の大半は、花選手の死去が報じられると慌てて、自分は関係ない悪くないと主張するように、指先で送った彼女の命を奪った言葉を無かったことにするように消されていってしまった。
花選手の死を境に社会問題化した誹謗中傷は、今は母親に
SNSでの誹謗中傷、テレビに出てる人ならば何を言ってもいい、それは有名税だから仕方ないことだから我慢すべき、そんな風潮は花選手の死を境に社会問題化した。
でも、社会問題化しても花選手は帰ってこないし、今日も女子プロレスのリングに花選手の姿はなく、彼女が率いていた女子プロレスラーのチームは解散し、めくるめく新しい選手がリングに上がる、デビューする者もいれば引退する者もいる。
まるで彼女がはじめからいなかったかのように移り変わるプロレスのリングを見るのが悲しくなってしまった。
けれどもそんな世界で、今でも母親で元プロレスラーの木村響子さんは誹謗中傷した相手らと戦い続けている……それは恐らく想像を絶する。
裁判には費用がかかる、それは決して安い額ではない、けれども素顔の、本当の花選手ではなく、テレビ番組の演出によって作り上げられた「野蛮な女子プロレスラーが共演者に暴力を振って炎上した挙げ句自殺した」という彼女がこの世を去ってもなお蔓延る誤った……酷すぎるイメージの回復のため、プロレスラーとしての現役時代のヘアスタイルのアフロヘアにして戦い続けている。
だが、SNSの世界に渦巻く悪意は、そんな娘の為に奮い立った母親にも今なお向けられている。「金がほしいのか」「アフロなんてふざけた髪型して」……酷い物も多い。
響子さんに寄せられる誹謗中傷や、花選手に誹謗中傷した人に対しての罪があまりにも軽すぎたり、彼女の死に続いて耳にする悲しい報道が続く中……自分には何かできることはないかと思った。
どれだけ想ってもリングの彼女には会えない。今の私ができること
気軽に指先1つで送れる、名前も知らぬ、顔の見えない相手からの「死ね」や「消えろ」という言葉に苦しんで、心をすり減らしてしまった、彼女。私は物販では彼女と話すことすら出来なかった。
せめて面と向かって一度でもいいから「応援してます!」と言えばよかった。
訃報のニュースを見て感じた後悔。
あの時、言葉を伝えられなかった思いを、どうやって彼女がいなくなった世界で届けられるか……私は彼女の死の真相解明を訴える署名活動に署名をし、響子さんが販売している花選手のグッズを購入した。
こんなことでしか力にはなれない。どれだけ想っても、もうリングの上の花選手には会えない、だからせめて花選手のグッズを購入し、その費用が彼女の名誉回復の裁判に使ってほしいし、グッズを持つことで彼女の死を風化させない抑止力になる気がした。
もう2年、まだ2年だけれど、確実に世間は新しいニュースに塗り替えられていく。
「これってまだ裁判とかやってるんだね」、電車の中のニュースがでる電光掲示板で響子さんの裁判のニュースの見出しをみて誰か知らない人がそういった。「まだ」。なにも終わっていないけれどプロレスファンだったり、よっぽど誹謗中傷に関心のない人の心ではもう過去にセンセーショナルに伝えられたニュースの一つになってる。
前述したように人間の記憶は脆いのだ。
私は彼女を忘れることはないけれど、世間は忘れてしまうかもしれない、それなら微力だけれど彼女を忘れてしまった人にも思い出してもらうきっかけになるように、彼女が生きた証であるグッズを手にする、身に纏う。
彼女が亡くなって少しの間は、彼女を失っても何事もなかったかのように行なわれる興行や立ち回る選手の姿に切なさを感じずにはいられなかった。
でも最近は、花選手と仲の良かった選手が花選手の技を試合で使ったり、彼女を忘れないようにもがいているのだと思い、かつて自分が感じた切なさが恥ずかしくなる。ただのプロレスファンの自分より側にいた選手らのほうが、ずっと辛かったはずなのに、と。
今年も花選手の命日には、花選手らと親交のあった選手が集まり、彼女のメモリアルマッチが行なわれた。
彼女はもうこの世界にいないけれど、今年も彼女を想う人らが集まり、後楽園ホールに大輪を花を咲いた。それはきっとこの世界のどんな花よりも美しい。