大学生の頃は、パートナーがいる人と比べて落ち込んだけれど

昔から人に合わせることは苦ではないタイプだ。例えば、食べたい物、行きたい場所など、自分の意見もあるが、必ずしもそれでないといけない、とはならなかった。
しかし、周りからは「理想やこだわりに対しては人一倍強いよね」とよく言われる。

例えば、中学生の通学用鞄は、機能性、デザイン性、使い易さなど全てが自分の「これだ」と思える理想的な物でないと使いたくなかった。理想の鞄に出会うのに10店以上は探し回り、母に呆れられたこともあった。

異性の理想も高いと言われる(自分では高くないと思っているが……)。
しかし、どうしても「まぁ良い人だし、嫌いじゃないから『とりあえず』付き合ってみよう」という考えができないのだ。
それが影響しているせいか、出会いがあっても、「何か違う」と思い、お付き合いには発展せず、気が付いたら5年以上フリーだ。

大学生の頃は、パートナーがいない自分にすごく焦りと劣等感を感じていた。自分の性格がダメなのかな、駆け引きが苦手だからかな、可愛くないからかな、とパートナーがいる人と勝手に比べて落ち込み、嫉妬した。

今はそう思う事がなくなった。その大きな理由が「ありのままの自分を受け入れられるようになった」ことと、「パートナーがいなくても幸せだ」と「本心で」思えるようになったからだ。

理想や大切なものを犠牲にするなら、無理して求めなくてもいい

「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマのワンシーンでとても共感したセリフがある。

「恋が素敵なのは知ってる。キラキラっとした瞬間があるのも知ってる」「私の人生には要らないの。そういう考えがね、寂しい事は知ってるよ。私さ、たまに寂しい。でもやっぱり、ただただそれが、私なんだよ」

このセリフに触れた時、まさしくそうだと強く共感した。このセリフとは違い、恋をしたくない、という訳ではないが、理想や、大切にしたいものを犠牲にするのであれば、このままでも十分幸せなのだから、無理して求めなくてもいい、と考えるようになった。
この引用したセリフと同じようにこの考え方が寂しい事は分かっている。でも、「ただただそれが私」なのだ。

25歳の私の年代は「結婚」を意識する年代。少しずつ結婚する人が現れ始め、早く相手を見つけなければ、と焦る方もいるであろう。

結婚は「妥協が必要」と言われるが、この言い方にはずっと疑問を抱いていたが、このエッセイを書きながら分かったことがある。「妥協」ではなく「譲る」だと。

「どんな悪い状況でも一緒に乗り越えたい」と思える人を選ぶ

人間誰しも完璧な人は絶対に存在しない。欠点も含めてその人だ。でも譲れないポイント=理想、がなければ自分がブレてしまう。肩書きや年収、そういうのが絶対譲れないと思う人もいるであろう。しかし、私はそこを譲れないポイントにすることはしない。「この人とだったら、どんな悪い状況でも一緒に乗り越えていきたい」と思える人を選ぶ。それに、選ぶ決断には「覚悟」を持って選択している。

「『結婚』を選ぶのではなく、『幸せ』を選ぶ」。結婚したから幸せになれるものではない。結婚生活での幸せは、パートナーと共に築いていくからこそ、「幸せ」なのだ。
不満や不安があるにもかかわらず、「他に相手がいないから」と焦り、ゆずれないポイント=理想、を譲ってまで結婚はするものではない。
人生100年時代。これから半世紀以上、一緒にいるかもしれない相手になるのであれば尚更、そこは譲ってはいけないポイントだと思う。

1番大切なのは、自分の幸せだ。その幸せのためであれば、私は絶対に自分の理想を譲らないし、譲りたくない。その譲る、譲らない、を繰り返すうちに、必ずパートナーと出逢えると信じている。理想の鞄と出会えたように。