妹が家で笑わなくなってから、もう10年が経とうとしている。
私より1歳下の妹とは、歳が近いこともあってか、小学生まで毎日のように喧嘩をしていた。そんな妹が中学生になり反抗期を迎え、親と話さなくなった時、誰かが架け橋にならなければと、私は妹と仲良くするように努力した。

家族で妹との対話が唯一許された私は、妹と友達のように過ごした

最初こそ努力が必要であったが、慣れれば家でも友達がいるような感覚になり、意外と楽しく過ごしていた。そして家族の中で妹との対話が唯一許された私は、得意げにパイプ役をこなしていた。妹にとっても、私が救いだったのではなかっただろうか。

中学で妹は、私と同じ剣道部に入った。私は同級生にも先輩にも恵まれ、毎日部活が楽しいと家で話していた影響が大きかったのだろう。ただ、私が引退してからは初心者組と経験者組の間で対立が起こってしまい、妹は最後の夏の引退試合に参加しなかった。
両親からも反感を買ってしまった妹は、部屋にこもる時間が増えた。私は先輩として、姉として、唯一の理解者として、妹とは普段通りに接していた。
私と妹は12畳の部屋の真ん中をパーテーションで区切って使っていた。仕切りを閉めたとしても声は聞こえる、そんな状態だった。
眠れない夜は、お互いのベッドの上で横になったまま、深い話をしたり、すべらない話をして笑いあったりと夜遅くまで話すこともしばしばあった。

高校生になって彼氏ができた妹。親友のような関係性が変わった

私と妹の関係性が変わり始めたのは、妹が高校生になったある日のことだった。妹に彼氏ができたのだ。
妹は私と違って美容や服装にはあまり興味をしめさず、アニメや漫画を愛するオタクタイプだったので、とても驚いた。が、当時私にも恋人がいて、私たちの話題の中心はもっぱら恋話となった。妹がおしゃれに目覚め始めると、デートに着ていく服など相談されるようになり、頼りにされているという高揚感があった。

私は妹の1番になっている気がして嬉しかった……のも束の間、進学校に通っていた私は塾に通い始め帰宅が遅くなり、妹も部活動が忙しくなった。土日もあまり顔を合わせなくなり、気づいた頃には、妹は家にいてもずっと彼氏と通話をするようになっていた。ずっと話しているので、私が話しかける隙もなく、私は親友を取られたような気分になり、寂しかった。

妹は、家でいるほとんどの時間を自室で彼氏と通話しながら過ごすようになった。寂しくもあり、彼氏と仲良しな妹を喜ぶべきでもあり、私は複雑な想いであったが、妹の今後を考えて一歩引いて見守ることにした。

暴言を吐いて謝罪もしない妹。私はその程度の存在なのか

事件が起きたのは、私の大学受験がいよいよ差し迫ってきた頃だった。
土日も机に向かって勉強していた私の隣の部屋で、妹は彼氏とずっと通話をしているのだ。受験へのストレスと、妹を男に取られたという恨みつらみも相まって、私は「うるさいわ!こっちは勉強中なんや」と声を荒げた。すると、妹から信じられない言葉が返ってきた。
「お前なんか勉強してもどうせ落ちるんや」
それに続いて、スピーカーから男の声も聞こえてきた。
「進学校の奴らなんて、勉強しか取りえない大したことない奴らの集団や」
私は完全に頭に血がのぼってしまい、その怒りが消えるまでの3日間、妹を無視し続けた。

妹は次の日ともなれば、何事もなかったかのように私に話しかけてきた。特に謝罪の言葉もなく、妹にとって私は暴言を吐いてもいい程度の存在になったのかと思うと、悲しく、その悲しみは怒りへと変わった。
私は妹にとって両親との架け橋で、先輩で、姉だったのに、そんな私ががんばっていることを軽んじるだなんて……ただ悲しかった。

3日後、私は歩み寄ろうと声をかけたが、今度は妹が私を無視した。そっちがその気なら、と私は特に仲直りしようとはしなかった。
今まで喧嘩を何度もしてきたのだ。今回も、きっとそのうち元に戻れるだろうと高をくくって、私はそのまま大学入学とともに上京し、家を離れた。その間も、ほとんど話すことはなかった。

あの日こうなることが分かっていたら、妹の行いを許せただろうか

それから10年が経つが、未だに妹は会話をしようとしない。それどころか、家族からの電話にも出ず、メールも返さない。もっと言えば、今どこに住んでいるのかも分からない。
母はそんな妹の態度のせいで何度も涙を流したし、父は諦めモードだ。私もその間何度か妹に会ったが、留学から帰ってきて「ただいま」と言っても無視をされた時、心が折れた。
それからは、妹を見るたびに腹が立ってしょうがない。どうして親にそんな態度が取れるのか、親を泣かすようなことをするのか。

妹が大学を卒業するとき、私はメールを送った。
「今はいいかもしれないけれど、もし突然、お父さんやお母さんが死んでしまったら、きっと今の自分を後悔しながら生きていくことになる。あなたにそんな人生を送ってほしくないから、感謝の気持ちがあるのなら、この機に両親に伝えてみてほしい」
返信はなかった。

もしこうなることが分かっていたら、私は妹に馬鹿にされたあの日、妹の行いを許すことができただろうか。自分が努力していることを踏みにじられたとしても、妹と親の架け橋で居続けるべきだったんだろうか。そうすれば家族として、もっとまともな形を成していたのだろうか。
あの時、どうしてもゆずれなかった私の行いが、胸の奥で今もつっかえている。