世界中で起こる自然災害や争い、そして世界に比べれば小さなこの島国の小さな事件ですら、私にはどうすることもできない。

今でもはっきりと焼き付いている出来事。恐怖と不安に包まれた

私が物心がついてから最初に記憶に残ったニュースは、東日本大震災。小学生の頃、不登校だった私は家でひとりそのニュースから目を離せなくなっていた。
私は生まれてほとんどを関西で過ごしているのだが、震災があった前後数年ほど関東に住んでおり、そのときもいつものと何ら変わりないものではあったが、「揺れたな」と感じていた記憶がある。
まだステレオタイプだった、今よりうんと分厚いテレビからは、それでも収まりきらないような、大きな大きな出来事が映っていた。水の塊が車や家、街中を飲み込み全てを流すあの光景は、今でもはっきりと四角く焼き付いている。

しばらくして母からいつものように仕事の休憩に電話があり、「さっき揺れたけど、東北の方で大変なことになってるみたいだから」と安否確認の電話があったので、とりあえず「大丈夫」と返事をして、私はまたテレビの中の出来事をみていた。

自分には到底見当もつかないようなことが、まさに今この日本で起こっている。
本来ならば大々的でなくても、学校で皆や先生と話題を共有するなどしていたのだろうが、家に、たった1人。SNSすら普及していない時代、小学生だった私はこの感情を言葉にも何にもすることができず、ただ底知れない恐怖と不安に包まれていた。

「知らないといけない」と情報を連日収集して、自分を追い込んだ

私は当時、環境の変化についていけず不登校になっていた(それだけとは言えないかもしれないが、記憶があいまいで覚えていない)。
昔から感受性が強く、土地や人、天気などの変化にも強くはなかったし、そしてなにより今より生きることに対して慣れていなかった。生まれた感情をどう受け止め、どう処理したらいいのかも分からず、ただ何にも触れずに家から出ないことしかできなかった。
また無駄に正義感も強く、これは今もだが、その場にいる当事者の状況や気持ちを想像し「なんて自分は無力なんだ」という気持ちに覆われてしまう。

そしてもう一つ、自分を追い込むことが“情報収集”であった。
その頃はテレビからの情報しかなかったが、連日報道される現場の様子、専門家などによる解説、自粛のため娯楽の番組は減り、日本全体が希望を失ってしまったように思えた。そんな現状を私は「せめて知らなければならない」と思っていた。

元々探究心もあり、自分の興味関心のあることを知るのは好きだったが、それは必ずしも自分に良い影響を与えるものだけとは言えなかった。

10年で覚えた「自分を救うこと」。私とニュースとの付き合い方

実は当時の記憶はこのあたりまでで、あれから10年以上経った今、被災者と言えない私は震災どころかそれ以外の記憶も曖昧になりつつある。
あれから私はしばらくしてもう一度関西に戻り、中学生まではまだ不登校が続いたが高校からは皆勤賞を取るほどにもなり、大学を経て今では社会人として働いている。

しかし、今でも日本や世界で起こるニュースを知っては、自分の中を簡単に通り抜けることはないし、昔と違ってSNSからは正誤両方の情報がイヤというほど入ってくるため一度考え出すとかなり抜け出すのが大変になることもある。

そんなこの10年で見つけた私にできることは、「まず自分を救うこと」だった。
薄情にも聞こえるかもしれないが、前述した通り私は無力であり、私が心を傷めることでどうにかなるわけではないことばかりだ。だからこそ、私はまず自分の“心”を守らなくてはならないのだと。
自分の何かが誰かを救うことになったとしても、それは自分が壊れてしまっていては先に繋がらないのだ。

情報が溢れかえる現代において、ニュースは自身で選択できるし、選択しなければならないものでもある。そして、それが私とニュースとの付き合い方だと、今の私は思う。