全然いいお姉ちゃんじゃなかった私

「母は強し」本当にそう思う。

私が小さかった頃、私の弟はよく幼稚園で他の園児に噛み付いていた。
その度に母が保護者に電話で謝罪をしていたのをよく覚えている。母は責められただろうが、私たちの前で弱音を吐くことは1度もなかったし、弟に精一杯の愛情を注いでいた。それは幼い私がやきもちを妬くほどに。

幼かった私は弟が憎くてしかたなかった。弟が小学生になり、母から「弟と一緒に登校してほしい」と頼まれた。
弟はもう小学生だというのに、ひらがなもうまく書けない、簡単な計算もできない、時計の見方も分からない、人に上手く気持ちを伝えることもできない子だった。
ぴかぴかのランドセルを背負い、ふらふら歩く弟と小学校を卒業するまで一緒に登校した。

弟が校門の前で寝転がって学校に行きたくないと駄々をこねた日もあった。
登校してくる全ての児童に見られ顔から火が出るほど恥ずかしく、手をあげてしまいそうになることもあった。置いて行ってしまうこともあった。
母は私が優しく弟の手を引いて学校に連れて行っているものだと思っていたと思う。
ママ、ごめんなさい。私は全然いいお姉ちゃんじゃなかったよ。

思春期になり、自殺を企図した

高校2年生の夏、もう1人の弟が不登校になり、毎日のように父が怒鳴った。
思い出したくないからか殆ど思い出せないが、手をあげていたような気もする。
そんな中、母は弟を庇っていた。その光景が目に焼き付いて、私は心を病んだ。
「怒鳴る男の人」を見てしまうと今でもパニックになってしまう。
学校の先生が出す大きな声でさえ恐怖に変わり、私まで学校に行けなくなってしまった。
学校を早退する日は決まって母が学校まで迎えに来てくれた。
家から学校までは近くなかったが母は嫌な顔ひとつせずに迎えに来てくれた。
「うざかったらうざいって言いなね」と言いながら、車の中でずっと声をかけてくれた。

ありがとうと言えなかったこと、本当に後悔している。
しかし、私の心はぼたぼたと溶け落ちてゆくばかりで、ついに私は自分の体に傷をつけるようになった。
はじめは本当に軽い気持ちで手首にカッターナイフを滑らせたが、やめられなくなり、母にも見つかってしまった。
母は「正気でない」と血相を変えて怒ったが、私は聞く耳を持たなかった。
父が怖い、大好きだったはずの学校が、教師が怖いと思ってしまう自分を責める度に手首につける傷は深くなっていった。
そのうち死ぬことしか考えられなくなって、高校3年生の春に自殺企図、精神科に保護入院になった。
死のうとしたことも、病院へ向かう車の中で父と母が何を話していたかも記憶にない。

入院してから母は毎日のように面会に来た。スマホなんて触らせてもらえないのに、LINEも送ってきてくれていた。
おやつもたくさん持ってきて、看護師さんに持ってきすぎだと言われたと笑っていた。
私がこんな風に落ちぶれてしまっても、やっぱり母が弱音を吐くことは1度もなかった。私の前で泣くことも、嫌な顔をすることも、私を責めることも絶対にしなかった。

今、ママに謝りたい。ママみたいに強くなれるだろうか

ねえママ、ごめんなさい。
ママがお腹を痛めて産んでくれたのに、「生まれてこなきゃよかった」って何度も思っちゃった。
こんな娘じゃ恥ずかしいよね。たくさん苦しい思いをさせてごめんなさい。ずっとありがとう言えなくてごめんね。
ありがとうも言わないまま、死んでしまおうとしてごめんね。
ママ、私を産んでくれてありがとう。
私はママみたいに、強い母になれるだろうか。