「今日さぼったら」という恐怖と闘い、筋トレを続けた3年間

3年続けた筋トレをやめました。
3年も続けたんだから簡単には体型は崩れないだろうと思ったら、みるみるうちに筋肉が落ち、それどころか3キロ太りました。
ひどい……。
情けもくそもない。

今思うと3年間もよく続けられたなと思うのですが、この3年間はむしろ恐ろしくてやめられませんでした。
昨日までずっと頑張ってきたのに、「今日サボったら絶対に大変なことになる」という恐怖で朝寝坊もほとんどせず、毎朝40分の筋トレを続けていたんです。
家の中で出来るようなメニューなので大したことはないですが、人生で一番自分の体が好きな時期でした。
子供の頃から太っていて体の大きかった私からすれば、モデル体型には程遠くても、初めて手に入れた細めの体は宝物のように思えていました。

でも今、その時のやる気が嘘のように皆無です。
朝寝坊をしたり、早く起きたとしても優雅にコーヒーを飲んだりするのが新鮮で楽しく、やめられない毎日。

体が変化してもやる気は出ず、多分明日も筋トレなんてしないだろうな

「来週からはさすがに頑張ろう」を毎日唱え続け半年が経ち、気づいたらお腹にお肉はつくわ、お菓子はいくらでも食べるわ、運動はしないわ、お気に入りのスカートもなんだかきつい……大好きだった体の面影もない状態になってしまいました。
これはやばい!と思っても、なぜかやる気は出ず、多分明日も筋トレなんてしないんだろうなあと思います。
嫌々やっていたわけでもなく(嫌々な日もあったけど)、むしろ1日の楽しい時間だったはずなのに。
なぜやる気がなくなってしまったんだろう。やる気のない状態でいる方が辛いのに、なんで脱せられないんだろう。

なかなか怠惰な生活から抜け出せない自分が情けなくなり、ある朝、早起きして、半年前までやっていた筋トレを再開してみました。
つ、辛すぎる……。
本当に毎朝やっていたことなのか疑うレベルで辛すぎて、過去の自分を尊敬するとともに、1日で挫折したくなるかな……と思っていたのですが、終わってみたら意外にも辛いけど楽しい、と感じている自分に気付きました。
心いっぱいの達成感と、1週間続けたら、体はどんなに変わるだろう、という期待感。
やる気が出ない時の後ろめたさよりも、前向きな心境になれている自分がとても好きになりました。

やる気のない私は何ひとつ生み出せないけど、それでいいんじゃない

じゃあそこからまた筋トレしたの?と聞かれると……非常に答えにくいですが、していないです……。
私は私が期待したほど、芯の強い人間ではなかったようです。
ここでふと、私は新たな自分の課題に気がつきました。
自分に期待しすぎて、自分を無理させない。ということです。
そもそも私はそんなに出来た人間ではないし、弱いし、楽したがるし、怠け者。
それでいいじゃん、むしろ何かを頑張れたらめちゃくちゃすごいしめちゃくちゃ素敵だよって自分を褒めてあげられる自分でいた方が、自分に期待しすぎて、応えられなかった時にがっかりするより、よっぽど楽しいなってことに気づいたのです。
ダラダラしたい時は、その状態に思い切り身を委ねて、やる気のある日はその状態に思い切り身を委ねて。
理想の自分でいられなくても、自分のダメな部分や情けない部分も「まあ、私こういうところあるよね」って思える自分でいたいな、と思える強さも私には必要なのかもしれません。
やる気のある時の私は、スリムで、自分が好きで、たくさんの前向きな感情を生み出すけど、やる気のない時の私は、何ひとつ生み出すことはない。
でも、それでいいんじゃないって思うんです。
むしろ、何ひとつ生み出さないし、素敵じゃない自分も、違う角度で色んな気づきを得られる、ある意味素敵な自分だと思う。