小学1年生の頃、書道の先生だった母の影響で書道を始めた。
授業の中で硬筆を習うとクラスのみんなに「すごい!じょうず!」と褒められたり、職員室前に展示されるクラスの代表作品に選んでもらったりして、純粋に嬉しかった。
周りに書道を習っている人はそう多くなかったから、クラスにライバルはいなかった。クラスには、いなかった。
誰よりもきれいな字を書く親友は、いつか勝ちたいライバル
隣のクラスで一番上手だったのは、違う書道教室に通っている、幼稚園の頃からの親友。クラスで一番にはなれても、学年で一番にはなれなかった。どんなに頑張っても親友に勝てたことはなかった。
足元にすら遠く及ばない、当時のわたしにとって完璧な字を書く親友。それでも親友はわたしのことを「親友でライバル」と認めてくれていた。それが何よりも嬉しかった。
小学3年生、書写の授業が始まった。クラスや学年から代表が選ばれる機会は、年に3回。3年生の間はずっと、わたしはクラスの代表作品、親友が学年の代表作品に選ばれ、展示された。
いつか親友に勝ちたい。学年の代表作品として飾られたい。朝会で表彰されたい。そう思い続け、4年生の書写の授業を終えた。
今回の学年の代表作品は、親友の作品かわたしの作品かで、先生方の意見が割れたようだった。放課後、隣のクラスの先生に呼ばれた。
「明日、1時間目の学活はクラス対抗のドッジボールをやります。よかったらその時間、〇〇さん(親友)と2人で、教室でもう一度書いてみない?」
校庭から楽しい声が聞こえる中、負けず嫌いな2人は筆を滑らせる
校庭から楽しそうな声が聞こえる中、先生が教卓から見守る教室で筆を滑らせた。2人ともドッジボールは大好きだったけど、書道の方が大好きだったし、納得のいく字で戦いたい気持ちが勝った。きっと、お互い負けず嫌いだったんだ。
ドッジボールが終わるまでと言われ、お習字セットを片付けた。書道の上手な2人だけがもう一度書けたら他の子に対して平等じゃないから、本当はいけないことだったのかもしれない。だから早めに切り上げたのではないか。子供ながらもそう感じた。
墨の香りで満ちた教室は、一瞬にして汗臭くなった。
「なにしてたの?」
「ちょっと先生と話してた」
そんな会話で、わたしは自分に染みついた墨の香りをかき消した。
それから2週間ほど経った日の帰りの会の後、担任の先生に呼ばれた。
「今回はあなたの作品を」。わたしの作品は、4年生の代表作品として地域の小学校を巡った。
同じ学校で戦えた6年間で、たった一度の「勝てた」経験
結局その後、わたしが学年の代表作品に選ばれることはなかった。親友は学年の代表作品に、わたしはクラスの代表作品になるのがお決まりのまま、小学校を卒業した。
悔しかったけど親友に勝てるなんて思ってないから、当たり前だとも思っていた。
学区の関係で、親友とは違う中学校に進学した。お互い学年にライバルはいなかったようで、1年生、2年生はお互いに学年の代表作品となり、3年生では学校の代表作品として、市の書写展で隣に飾られた。
隣にあると、違う課題なのにわたしのミスばかりが目につき、親友の字は相変わらず完璧に見えた。違う学校にいるから結果での勝負はつかないけれど、ひと目見ただけでその差は歴然だった。
結局、同じ学校で戦えたのは6年間。その中でたった一度の「完璧な親友に勝てた」という経験。みんなのドッジボールに隠れて書かせてくれた先生には、感謝しかない。