世界中に広がる#MeToo運動は、「彼ら」を変えると期待したけど

高校生のころに、海外のゴシップ誌にはまっていたことがある。日本の雑誌には見られない感情的な辛辣記事に驚愕し、その自由な書体に胸がざわめいたのをよく覚えている。
特にセレブリティーの見た目に対する言葉が強い。大きなお尻を隠すようなスタイルをしたある女優に対して、「逆にその安産体型が目立ってしょうがないよ」。これは人の見た目に多様的であるはずだと思っていた、私の中の西欧イメージを覆すものだった。

時は流れ2017年。今では知らない人はいない「#MeToo運動」は、アメリカ国内に留まらず日本でもその動きを感じることができた。
当時、一般企業で働いていた私は、女性軽視の日本文化を生活の節々で感じていた。女性事務員を総称として「女の子たち」と呼ぶ男性上司。お酒の席で性的な話を堂々とする男性管理職。そこにはセクハラともパワハラとも受け取れる発言が溢れていた。
そんな中で問題となったこの運動は、彼らの生活様式を変えるのではないかと密かに期待をしていた。だが、退職する2年後までに大きな変化を感じることはできなかった。それどころか、コロナの影響で、せっかくじわじわ日常に染み込んできたこの運動が消沈してしまった気すらした。
このまま「彼ら」は、問題の大きさを認識することなく定年退職をむかえるのだろうか。

「彼ら」の存在を感じる結婚式のスピーチ。周囲の反応を確認した

そして時は流れて2022年4月。友人の結婚式で行われた新婦の男性上司によるスピーチで、また「彼ら」の存在を感じた。
その男性は挨拶の締めで「新婦は結婚を機に退職してしまうのかと思いましたが、まだいてくれるとのことなので安心しました。彼女は優秀なので、こちらとしても大変嬉しいです」との発言だった。
つい私の笑顔が解けた。おいおい、今までいいこと言っていたのに、今ので台無しなんですけど。直ぐに周囲の反応を伺ったが、これが興味深かった。
20代後半の新郎新婦の友人卓は無反応か違和感を感じているように見てとれた。しかし前方卓では、数人のうなずく姿があった。最優先招待客の「彼ら」である。

このギャップに気づいている人は、「彼ら」の中には恐らくいないのだろう。つまり、あのコミュニティーの中では問題にすら思っていないことを意味する。「悪気はない」という言葉がぴったりなのかもしれない。それでもこの後方との空気の違いを察知できないのは、他の能力にも支障が出るんじゃないか、と悶々と考えてしまった。

「悪気はない」では済まされない速さで、#MeToo運動は広がる

大学院の授業で「教養のジェンダー」という話が出たことがある。つまり、社会で生きていく上で、ジェンダー問題に疎いことは大きなリスクになるということ。
学校教育現場では長いこと、ジェンダー意識を推進させる取り組みを行ってきたが、「#MeToo運動」はこの子たちが大人になるのを待たなかった。待ったなしのスピードで国際社会全体に広がったのだ。
「悪気はない」では済まされない速さで、毎日のように男性の発言がニュースに取り上げられている。そう、このスピードは「彼ら」の「安全な」定年退職を保証しない。
果たして私の出会った「彼ら」は何人が滑り込み退職に間に合うのだろう。見ものだ。