突然だが、皆さんにはどうしても思いを伝えられない相手などはいるだろうか。
私には、いる。
私が思いを伝えられなかった相手、それは家族だ。

周りと違うから家族も友達も私を嫌う。だから普通を目指した

私は幼少期、発達障害と診断されたが、「普通であること」「相手の気持ちを考えて空気を読むこと」を求められ続けた。
今にして思えば、それは将来私が困らないように、周囲の人とうまくやっていけるようにするための家族からの愛情だったわけだが、当時の私にとっては苦痛なことが多かった。

「なんで私ばっかり怒られるの?」
「相手の気持ちなんて本人じゃないんだからわからない」
「普通って何?」
「普通じゃない私はだめな子?」
「怒ってばっかり……。私のこと嫌いなのかな?」
家族に好かれたい、もっと愛情が欲しい、もっと怒らないで優しくしてほしい。
そう思って荒れていた私と、とにかく将来困らないように躾けたかった親の愛情は見事にすれ違っていた。

思春期に入り周りが見えてくると、私が周りと「何か違う」ことも分かってきた。そして私は思ったのだ。
「周りと違うから家族も友達も、みんなは私のことを嫌うんだ」
家族からの愛情をうまく受け取れなかった私は、友達との微妙な上下関係や見下されることにも嫌気が差していた時期で、それらの理由付けに「私が人と違うから」というものを使った。

本当の声を知ってほしかった私が選んだ、歌という手段

それからの私は「普通」になろうと努力した。自分の意見はなるべく控えめに、できることなら主張はせず、ニコニコ笑顔を絶やさず意見を求められたら周囲に同調する答えを。
そうやって普通の虚像を作り上げた私はいつからか、友達にも家族にも本音を話すことはなくなっていた。
年に何度か起こる感情の暴発による大暴れの他に、私は私を表現する方法を見失っていた。

そうして大人になった私は、いつしか感情の暴発を起こすことも減り、普通の仮面を被れるようになった。
そしてふとした時に気がつくのだ。
その普通の仮面を外せなくなり、家族にすら自分の言葉で話せなくなっていることに。
けれど、本当は知ってほしかった。私の本当の声を。
そんな私が想いを表現し、伝える手段として選んだのが文字、文章での表現だった。

このエッセイのような体験談、長編の自叙伝、自分の経験をもとにした絵本に小説……。だが、一番表現として伝えやすかったのが歌の歌詞だった。
明るい感情も、暗い感情も、苦しかったよって訴えも、愛情を注いでくれてありがとうという感謝も、私は全部歌にした。
歌にすることで心の中の感情から切り離し、ワンクッションおいて自分の感情を整理することができるようになった。
作詞本数は90本を超える。そのうちの5、6本には曲がつき、歌という形になった。

歌は家族に対する私の思いの伝え方であり、心との戦い方

私はそれらの歌詞のほぼすべてを、家族に見せている。
私が想いを伝えたい一番の相手が家族だから。
苦しい思いや暗い思いを伝えて、家族に苦しい思いをさせることが多いけれど、最後には前を向けるような歌詞を書くように心がけている。
それは、家族のためだけではなく、自分のためでもある。
苦しかった、辛かった、だけで終わらせるのではなく、最後に前を向けるようなフレーズを入れることで自分への宣言にしているのだ。

「あのときはこんなに苦しかった、辛かった、わかってよ。でも今はちゃんと前をむこうと戦ってるよ、絶対勝ってやる」
これが私流の家族への思いの伝え方で、私流の心の内との戦い方だ。
私はこれからも歌を書き続けるだろう。暗い思いも、明るい希望も歌という形で想いを伝え続けるのだ。