私は普段、テレビを観ない。
夫と同居していた部屋には、テレビは置いていなかった。それには特に理由はなく、元々テレビっ子だった私だが、そんな生活にすぐ慣れていった。だから良いニュースも悪いニュースも私の耳に入ることは少なかった。

山梨の女児行方不明の進展に釘付けに。もし私が母親の立場だったら

今、子どもを連れて実家に帰っているが、テレビがあるので毎日観ている。コロナ関連のニュースはもちろん、芸能界のおめでたいニュース、耳をふさぎたくなるような悲しいニュース。毎日入ってくる情報はさまざまだ。そんな中で、一度聞いてから頭から離れなくなってしまったあるニュースがある。
山梨県の山中で見つかった、人のものと見られる骨。約3年前に行方不明になった女の子のものではないか、というものだ。いつものように何気なくテレビを観ていた私は、その報道に釘付けになってしまった。心をえぐる、痛々しい話。

子どもを持つ身として、行方不明の女の子の母親の気持ちは想像するに耐え難い。しかも母親は、3年経った今でも、娘はどこかで生きている、必ず自分の元へ戻ってきてくれると信じているらしい。私はそれを聞いて、何とも言えない気持ちになった。
結局、見付かった骨は鑑定の結果、その子のものであるとは断定出来なかったようだが、何故神様はこんなに残酷な試練を与えたのか。
もし自分が母親の立場だったら……。この先は、なるべく考えたくない。

報道陣の取材に応じる母親は、一体どんな気持ちなのだろう。何があっても、娘は戻ってきてくれる、そう考えることは、きっと誰にも否定出来ないし、誰もがそうであって欲しいと思うことだろう。もし事実として突き付けられても、絶対に認めたくないと半ば意地にもなると思う。どうか、少しでも希望のある未来であることを信じたい。

自分と関係ないことと思えず抱え込み、「共感疲れ」してしまう

「共感疲れ」ということばがあるらしい。世の中の良くないニュースに対して、必要以上に共感してしまい、ネガティブな気持ちになってしまうことを言うそうだ。
私自身感情移入が激しく、他人の気持ちをより多く読み取ってしまう。自分には関係のないことだと思えずに、良くないニュースにとらわれ過ぎてしまうのだ。

良いニュースはもちろん、悪いニュースも毎日のように舞い込んでくる。それらは多少なりとも私たちの生活に影響を及ぼしている。
きっと大多数の人は、そのような報道は全くの他人ごと、この広い世界中のどこかで起きていることとしか受け止めていないだろう。
しかし私は、とてもそうとは思えない。抱え込み過ぎて気持ちがどうしても悪い方へ行ってしまう。何とか前向きに考えようとしても、物事の悪い面しか見えなくなってしまうのだ。

本当は明るくて幸せな情報だけに囲まれて生きていきたい。嬉しい、楽しいといったポジティブな気持ちだけで過ごせたら、人生どんなに楽だろうか。
しかし、世の中そういうわけにはいかない。テレビはどんなニュースも容赦なく叩きつけてくるし、今の時代インターネットからも膨大なニュースが流れ込んでくる。特にコロナがまだ続く今の世の中においては、なかなか明るい良いニュースを聞くことが出来なくなっている。
自分自身の精神の安定や健康、良質な生活を守るために、それらのものから少し距離を置いた方が有効なのかもしれない。