祖父の死や友人の自殺に、「死」について考えることが増えた

「死」が、前よりも近くなった気がする。

「あんた、近いうちふわっとどっかいきそうで怖い」
母の日のお祝いに、母と久々にお酒を飲んだ日に言われた言葉。

私は昔から、よくその日思ったことや何気ないことをなんでも話す娘だった。それが、仕事をはじめているうちに自分で気持ちの整理ができるようになればいいと、気付けば当たり障りのないことしか次第に話さなくなっていた。
心配をかけないようにと気を付けていたことが裏目に出ていたと反省する反面、2年前に祖父が交通事故で亡くなり、今年の1月に友人が自殺してから何かと「死」について考えて、物思いにふけることが多くなっていたように思う。

祖父が亡くなった時は、いつ死んでも自分の思いが誰かに残るようにと遺書を書くようにした。友人の自殺については形に残しておきたいから、「かがみよかがみ」に棺に入れたその友人への手紙の文章を投稿した。
その友人――彼女についてはまだ整理がついておらず、ぜひこの場を借りて話させて頂きたい。
忘れないために。

社会福祉を学ぶ学生時代からの友人である彼女と、語り合った日々

彼女とは大学時代の友人で、仲良くなったのは4年生の時だった。共通の友達から紹介されたのを覚えている。
その時、私たちは社会福祉士の国家試験を受験する年で、彼女は介護分野、私は障害福祉分野で働くことを希望していた。
共通の友人の下宿先に集まっては一緒に勉強したり、未来ある若者らしく将来の社会福祉の現場について語り合って、しまいに彼女と私はお酒が止まらず、あげくに吐いたりと、いわゆる学生時代の青春を味わった。彼女がいたからこそ特に大学最後の1年は輝いていた。
そして、国家試験の合格発表の日。
私たちは2人とも無事に合格し、希望を持って社会福祉の現場に辿り着いたのだ。

けれど、現実は厳しくて。
私たちは支援するクライアントを全力でサポートするけど、辿り着いた職場は働くなかで私たちを守ったりサポートする体制を整えるのが難しい状況や環境のことが多かった。
やりがいはあるが、それ以上に自分の心のエネルギーを消費していく仕事だからだ。

クライアントのサポートがうまくいかなくて、自分の不甲斐なさを感じた時。
よりよい支援がしたくて提案しているけれど、それがクライアントに受け入れられなくて拒絶された時。
忙しくて心の余裕のなさから人間関係がうまくいかなかった時。

その度に何のために私たちは仕事をしているのだろうと、働きはじめてよく居酒屋で彼女と話していたことを思い出す。
日々の仕事の愚痴を言いながら、それでも、クライアントが自身で生活をよりよい方向に歩もうとしていると感じた時、人の人生の大切な選択に少しでも私たちがいたなら、それはすごい素敵なことだとよく話していた。
福祉というのは人の幸せを願うことであると、はじめに大学で教わり、私たちは素敵な仕事についていると信じて止まなかったから。

頑張りすぎて先に行ってしまった彼女に恥じない生き方をしたい

社会人4年目の夏、彼女は精神疾患になった。
頑張りすぎたのだと思う。仕事を休職し、やがて退職した。
前向きに、介護士の仕事が好きだから、病気が回復したら戻ろうと思う、といつも言っていた。それと同時に、介護士でありたいのに、戻れない自分や調子が悪い時に動けなくなるのが嫌だとも。
けれど次第に必要以上に薬を飲んだり、複数の男の人と遊んでいる写真がSNSに投稿されるようになった。
彼女が変わって遠くにいってしまったようで、なんだか寂しく、以前より会う頻度が減ってしまった。今思えば、何がなんでも会うようにしていればと後悔しかしていない。

2022年1月11日。 
最後、私に「ごめん、限界、先にいく」とメッセージを残し、現場には勤めていた1年前の職場のシフト表の用紙が残っていたという。

もちろん福祉だけでなく、どんな仕事でも分野それぞれの難しさや厳しさがある。
個人的にそれに対して気軽に使えるような、働く人への心理的環境面のサポートの仕組みがあまりにも少ないように感じる。働き続けるためのサポートとなると、障害を持っている人への支援サービスが中心だ。
会社の組織のなかのサポートのみで完結するものなんだろうか。

来月、彼女のお墓ができる。
私も自身のこと、働き方を見つめなおして、今、何ができるのかを改めて考えていきたい。
私をセラピストのような親友と呼んでくれた彼女に恥じぬように生きていくために。