サンタの正体を知ったあともしばらく、自分の夢は必ず叶うと信じていた。
3人姉妹の末っ子で、両親のみならず、2人の姉からも甘やかされ、しまいには親戚一同が子どもに使う誉め言葉を使い切るほど口にしたことで、私はとにかく自己中心的なマリーアントワネットのようなお姫様として育った。
両親の離婚で失った自信。人のために生きようと決めた
本来ならば、集団生活で崩れていくはずの自信だが、必要以上に過保護な母親のお陰で、学校の先生に怒られるという体験があまりないまま、すくすくと体が大きくなった。
やっとその自信が取り除かれたのは、両親の離婚だった。かわいい娘が泣きつけば母も考え直してくれるだろう、父も改心してくれるだろうという期待はすぐに消え去り、自分ができることの小ささを痛感した。
とにかく人のために生きよう。周りを笑顔にできるように振舞おうと心に決めた。
親が喜ぶから野球を始めてみたり、コーチが見ているからシュートを決めようとしたり、話を合わせるために好きでもないアイドルのTVをみる日々を送っていた。
それはそれで楽だったし、人の笑顔をみると自分の存在意義が感じられた。なにより、都合のいい私の周りには、必ず私に好意を向けてくれる人がいるようになった。
100万ドルの夜景を前に感情の糸は緩み、本当の自分に気づいた
高校2年生の冬の修学旅行でも、変わらずに心がけていた。迷子になれば、地図を探しに行ったり、会話が途切れないように話題を逐一振ったり、トイレに行きたそうな子がいれば休憩を提案したりした。
2日目の夜、その張っていた糸が緩んでいく感覚を覚えた。おそらく文字でしか知らなかった、“感動”という概念を持った感情だったのだと思う。
100万ドルの夜景といわれている景色は、全身の毛穴から余計なものが落ちていく感覚があった。暫く無言で眺めたあと、この初体験をどうにか記録に収めようと、ガラケーを取り出し何度も写真を撮った。そして、「きれい!」と声に出して、耳に感動していることを覚えさせた。帰ったらすぐに日記を書いて、携帯の写真を印刷した。
夜景を見てしまったことで、自分の中から抑えられない感情を抱き、今までいかに自分が演じて人と関わってしまっていたのかを知ってしまった。自分の気持ちに向き合うことから逃げて、人に自分のことを決めさせて、楽をしていたことに気づいてしまった。
今後の人生で私は、自分の好奇心が揺さぶられることを自分で選んでいかなければいけないことに気が付いた。
人のために何かをすることは楽だけれど、好きなことではない。
演じない私は友達と1時間で解散。スキップで図書館へ向かう
久しぶりに高校の時の友達に会った。いつも隣にいたその子が話す内容は、全く私の頭に入ってこない。高校の頃と中身は変わっていない。
好きな人の話、同級生の近況、好きなバンドの曲のことなど、いろいろ話は変わっていったが、1時間で解散してしまった。
大丈夫、演じていなかったよと自分に言い聞かせ、スキップで図書館へ向かう。
本を読みたい。大好きなお笑い芸人に会いたい。おいしいランチを食べたい。
私はまた、函館に行きたい。