戦争のために使われるお金を渡してしまうのは、なんだか怖い

私はロシアがウクライナ侵攻を始めた時、「自分達が生きている内に、戦争が起こるなんて思わなかった」と口にした。
「常任理事国が、ね」とパートナーも言った。
SNSを開くと、「ウクライナへ募金をした。ここなら信頼できるから皆様も」と多くの人がURLを貼っていた。

今ウクライナへ募金するお金って、何に使われるのだろう。
戦争のために使われるのだろうか。

私はそんなことを考えて、URLをクリックできなかった。ロシアのような大国に攻め入られるウクライナへ募金や支援をすることは正しいと思う。でも戦争をしないでほしい。
戦争のために使われるお金を渡してしまうのは、なんだか怖い。

募金もせず、戦争を世界からなくすために何か活動するわけでもなく、結局何もできない自分自身がとても卑怯に感じる。
私に出来ることはなんだろう。
翌日、たった1日で募金額は3億円を超えたと報道された。
瞬発力を持って行動できる人々がこんなにたくさんいて、理不尽な軍事侵攻される国に支援が集まる。
まだ私は鈍く、何の反応もできないまま、そのニュースを横目で見た。

戦争は悲しいし、怖い。
絶対反対。
そう思っているだけで、世界の実情や、実際に自分がするべき行動について考えたことは全くなかった。
そのことがすごく恥ずかしい。
意気地なしな私にできることなんて、ないのかもしれない。

「なにかを失わなければ」という気持ちに駆られて髪を切った

朝メイクをしていると、初めて胸まで伸ばした髪が鏡にチラチラと映るのが見えた。
切ろうか、と思った。
自分が大切にしているものを、何か損失しないといられないような気持ちになっていた。
「このくらいまで一気に、切ってください」
思い切るねえ、と言いながら美容師さんがハサミを入れる。春らしくなるから、とパーマを勧められて、お任せした。

クルクルとカーラーを巻いていく美容師さんが、「戦争で、お仕事に影響はありました?」と聞いてきた。
何かが高騰したりするんだっけ、と思いながら、「いえ、私は特に」と答えると、「僕たちだけなのかなあ」と言われ、「何か美容師さんは不足するものがあるんですか?」と聞くと、「気持ち」と即答された。「悲しいよ。起きて、仕事に来るので精一杯だよ」と続けた。

今更、「それは私も」と言うのは許されない気がして言わなかった。
もしかしたら彼は「こんな時に自分のために髪を切りにくる人たちなんて」と思っているかもしれない。でも仕事だからと、お客の頭を春らしくクルクルにする。

「僕が生きてる間で、ちゃんとした戦争が起きると思ってなかったんだよね」と彼が言った。
ちゃんとした戦争。
私も彼が「ちゃんとした戦争」という言い回しをしてしまうニュアンスを、すっかり理解できてしまうのが嫌だった。

私にできること。それは平和を祈る心を表現して、人々に伝えること

美容室を出て、ショーウィンドウに映り込む自分の新しいシルエット。
春らしくカールをまとった髪型で、私は何を損失したといえるだろう。
スマホをいじりながら帰る。
募金が始まった翌日まで、青と黄色だったタイムラインが、今ではすっかり元通りだ。
サラーッサラーッと、一定のスピードでスクロールする。

突如。
ものすごく美しいものが目に入った。
「今年の花見はこれにしました」
友人がSNSに上げたのは、ダミアン・ハーストの桜だった。

綺麗だな、と思った。
水色の背景に、深い濃い茶色。白に、赤に、緑の点。
今の私には、平和を願う心に見える。
どこにでも咲いていてほしい。
どんな状況でも、桜を見るとき誰もが一瞬、全てを忘れてくれたらいいのに。

私は初めて、アートが存在する意味がわかった。
素人が撮って、普段通りにSNSに投稿した写真でさえ、今私の心を少し楽にした。
アートは祈りだし、状況によって、私にとっての意味が変わる。
きっとロシアの軍事侵攻前にダミアン・ハーストの桜を見たら、コロナ禍の人々の心に思いを馳せた。

改めて、やはり戦争をする為に必要なお金を募金することはとても怖い。
でも、私にもできることを見つけた気がする。
平和を祈る心を表現して、人々に伝えていくこと。
その為に絵を描く事。
ダミアン・ハーストの桜が私を励ましたように、いつか私が仕上げた絵が、誰かの心に届いたら嬉しい。