自分の心の思うままに人生の舵取りをゆずってみたら、卑屈な私が少し明るい場所に出ることができた話。
陰った場所で生きてきた自分に嫌気がさし、制限を解除することに
私は、自己肯定感が低い方だと自覚している。
何をしても「私なんかが」と思ってしまうし、果たして私がやったことは大丈夫だったのか、世間から見て逸脱していないか、常識の範囲内のことだったのか。思い切りとは程遠い、慎重にネガティブに物事を進めて、20と数年、陰った場所を好んで生きてきた。くすぶってタイミングを逃すことは仕事においても、恋愛においても度々あった。
そんな自分についに嫌気が差して、どちらにせよ周りの目を気にしてしまうなら、自分だけは自分を認めてあげなければとやっと思えるようになった。
よくよく考えたら、人生でやってはいけないことは法律に書かれていることや、モラルに反すること以外であれば、誰に制限される必要もない。ただ、自分に自分で許可を出してあげれば良いのだ。
「何かをやりたい」と思った時に、自分に許可を出してあげるのは結構難しいことだと思う。
「本当にやり切れるの?」
「途中で飽きない?」
自分のことをよくわかっているから問いかけてしまう、無意識の制限がある。「思いついたらすぐ行動」のタイプの人が心底羨ましいし、そういう人は対応力にも優れているから、横でよだれを垂らしながら1人スマホの画面越しに羨ましさを募らせる。
自分に制限はかけず心も譲らずにいられると、息がしやすくなった
きっとこのエッセイを読んでくれている人たちは、自分に許可を出すことに戸惑っている人たちだと思う。だから、この一年間で私がどれだけ心が軽くなったか。そして息をしやすくなったかを伝えたい。
自分に制限をかける行為をゆずり、自分の心(志)をゆずらないことが大切なのだと私は思う。
最初はもちろん怖いし、どんな批判がくるかもわからないと思うけど、「誰も見てない」と思いながら、えいや!と、一度やってしまえば意外と物事は良い方向に向かう。
やりたいことを「やってみたいから、楽しいからOK」と考えられるようになってから、人生がグッと押し進められて、いろいろな方向に展開し始めた。
思わぬところから仕事が舞い込んだり、意外なところを褒めてもらえたりするようになった。勇気を出してよかった、自分の気持ちを優先してあげてよかったと思うことは多いが、やらなきゃよかったと思ったことは一度もない。
「やらなきゃよかったと思ったことは一度もない」って実際に書いてみて気づいたけど、以前の私は「これってよく聞くフレーズだし、あなたの立場だから言えるんでしょ」と白々しく聞いてた。そんな私からこの言葉が出てくるんだから、試す価値はあると思う。
怖かったらもどればいい。自分のペースで少しずつ進める人生は上々だ
今でもまだ「それやって何になるの?」って自分に投げかけてしまう時もあるが、少しずつ成功体験を積んだおかげで一瞬落ち込んでも、「あ、そうだこれはやりたいから、楽しいからやっているんだ」と思い直せるようにもなった。だって、他人に迷惑をかけずに自分が楽しんでいるならそれで万事OKなのだから。
孤独や置いてけぼりになっている感覚があるのなら、今立っている場所から、その自分だけの世界から、つま先でも指先だけでも出してみて欲しい。ほんの数センチ立つ位置を変えるだけで世界の見え方は大きく変わる。見つけてもらえる。
暗闇からいきなり太陽を見たらそりゃ眩しくてすぐに引っ込んでしまうから、少しずつ慣れて行けばいい。
カフェに行くと、いつも店の一番奥の隅っこの少し暗い空間を好んでいた私が、最近やっと窓際の日光が降り注ぐ席に座れるようになった。
このエッセイも大通りに面したガラス張りの窓際の席で書いている。
怖かったらもどればいい。勇気を溜めたら少し出てみる。そして、また戻る。そんなゆずる、ゆずらないの繰り返しで少しずつ自分のペースで進んでいくことができたなら、人生上々なのではないだろうか。
少なくとも私は一年前に自分にこう声をかけたい。「志はゆずらずに、自分のネガティブをゆずってみたらいいよ」と。