私はひねくれものである。しかし、変なところで正直で素直である。それゆえに、就職活動というものとの相性が最悪なのである。

就職・転職活動で「今まで経験した困難なことは?」と聞かれるのが嫌

就職活動や転職活動でよく尋ねられる質問に「今までに経験した困難なことはなんですか。どうやってそれを乗り越えましたか」というものがある。私はこの質問が至極嫌いである。
そもそもなぜ20年やそこらの人生で「何らかの困難な経験」をしたことが前提となって話が進められているのか。面接官はたいてい初対面かつまだ会って数分ほどしか経っていないだから、こちらのこれまでの人生なんて1ミリも知らないのに、知ったような気にならないでほしいものである。

そして、この質問の嫌いな点はもう1つ、後半部分の「どうやって乗り越えたか」を問う部分である。これにより、困難な経験はないと答える選択肢がそぎ落とされてしまっている。つまり、「はいかYESで答えなさい」と言われているようなものである。

この手の質問は良く問われると聞いていたので、自己分析をしながら、私も一生懸命それらしい回答を考えた。
だが、一向にわからない。人からすればそれは困難に聞こえるかもしれないが、実際に語る私からしてみると、ほとんどは大したことではないのである。

大変だったことでも、今思えば良い思い出や楽しい思い出なのである

たとえば留学について。留学の話をすると必ずと言っていいほど面接官はこう問う。「留学で大変だったことは?」。
大変だったこと。
初めてのホームステイで、生活習慣の違いに戸惑ったこと?
初めて1人で飛行機を乗り継いで英語もそこそこにしか通じない、かつ交換留学先になったばかりの前人未踏の国に行ったこと?
寮の部屋の鍵が特殊で開けるのに苦労したこと?
寮周辺の工事で帰国前の1週間はずっと水でシャワーを浴びなければならなかったこと?
飛行機が遅れて乗り継ぎ時間が10分しかない状態で、ヒヤヒヤしながら空港を端から端まで走ったこと?
買い物から帰ってきたら、突然バスルームのドアが取り外されてたこと?

絞り出せばそれらしいことは出てくる。だが、私にとってこれらはすべて「大変ではあったけれど、困難というほどではない」ものなのである。あのときは大変だったけれど、今思えば良い思い出、楽しい思い出なのである。
思い出として美化してしまっているのではと思われそうだが、むしろその当時から楽しんでいた一面がある。大変だと思いつつも私はそれを楽しんでしまう質で、いわゆる“おもしろネタ”に仕立て上げてしまうのだ。

そんな風に私自身が“おもしろネタ”にしているものを、どうにか難しそうに話さねばならない。なるべく大変さをかさ増しして、ちょっと苦しそうな顔をして。
このあたりで私は馬鹿馬鹿しくなってくる。
嘘は言うなというわりに、嘘を話させているのはそっちじゃないか。そもそもなんで面接に準備が必要なんだ。シナリオをあらかじめ用意して暗記し、演じる。これではまるで茶番ではないか。

私は今も大きな壁にぶつかって、試行錯誤を繰り返しながら乗り越える

そう、面接は観客のいない茶番なのである。自身の経験を上手く肉付けして、そしてあたかも本当にそうであったかのように、それでいて芝居くさくなく話せる人間が勝ち抜いていくものなのだ。
多様性を叫びながらも個性を嫌う。社会を生きるには、みんなと同じ仮面をつけて役者にならねばならないのだ。

もし私が職業としての役者だったら、芝居はそこそこ上手いかもしれない。だが、役者と会社員を同時にこなし、「社会で生きるために自分を偽り続ける」ことはどうも心が許さない。
社会で職業として、自分が背負うものは1つでいい。できれば何も背負わずに、自分らしさや個性を発揮できる社会であれと私は願う。

「今までに経験した困難なことはなんですか」と問われたら、私はこう答えたい。
「そうですね、特にありません。強いて言うならば現在進行形で経験しています。私は今も大きな壁にぶつかって、試行錯誤を繰り返しながら乗り越えようとしているところです」