大学受験で第一志望が高校3年の秋頃までゆずれなかった。
その大学が魅力的なのは、学歴の高さばかりでなく、校風が自由で変わり者が多い点にもあった。けれど私がその大学に固執していたのは、自分の今までの人生の辛さを学歴の高さで報われたかったからというのが大きい。

いい学校に行き、意地悪な子を見返したいとガリ勉に

私は小学生の頃から勉強はする方だった。そして明るく、誰にでも抱きついていて、気に入らないことをされたらすぐ殴りかかった。
けれど、その性格でうまくやっていけたのは小学校2年生までで、小学校3年生になったら、私はクラスメイトとうまく関われず、グループに入ったものの、私のことを下に見ている意地悪な子たちのいいように扱われ、結局2回仲間外れにされた。
その時私は、勉強していい学校に行って意地悪な子たちを見返したいと思った。そして自他ともに認めるガリ勉になった。

中学生になって友達はできた。けれど、中学2年になって私はクラスでも部活でも容姿に関していじめられるようになった。
忘れもしないある日の卓球部の部活中、私の顔面にスマッシュをあてる遊びをされた。その時、私は何もできなかった。「黙れ、ブス」とでも言い返してやればよかったが、私は気が弱かった。だからいじめられたのだろうが。今にして思えば、部活の顧問にそのことを話せばよかったが、中学2年生の私のプライドが許さなかった。
いじめは自然になくなった。でも私の心には深く傷が残り、私はなおさらなんとしてでもいい大学に入ろうと思った。
第一志望の大学が決まったのは中学3年生の時だった。尊敬している兄の第一志望がその大学だったからだ。

高校でも生きづらく、学歴で自信をつけようと躍起になった

高校生になり、私は変わろうと思って、自分から友達を作ろうとした。けれどなかなかうまくいかず、一人だけしか友達ができなかった。
友達が一人というのは、いないよりはずっといいが、ふとした拍子に周りがわいわいしている中、ひとりぼっちになることが多く、私は生きづらかった。文化祭でとても惨めな思いをし、私はさらに学歴によって自信をつけようと躍起になった。

高校生活の3年間は高校と予備校と家の往復だった。部活は全然活動がない小説を書く部活に入った。私は惨めでもあったが、必死にがんばっている自分がどこか好きで自分に酔っていた。学校終わりにフードコートで友達とだらだら過ごしている女子高生なんて、時間を無駄にしていると思っていた。
でも突然不安になり、家で叫んで家族に迷惑をかけたこともあった。何度受けてもE判定な模試を見るたび、焦りは高まるばかりだった。高校は進学校だったので受験至上主義で、大して成績もよくないのに一流大学を目指す私は、周りからバカにされていたと思う。

結局、高校3年の12月頃の模試で第一志望は諦めた。第三志望を目指して受けたセンター試験の結果もひどく、最終的に高校1年からA判定だった大学にいくことになった。
受験の渦中の時、浪人することは頭によぎらなかった。私は浪人するにはあまりに心も体も疲れ切っていた。親が恐らく浪人を許してくれないのも理由にあった。

挫折を経てもう一度、働きながら挑戦した大学を目指す

大学に進学して、私はずっと第一志望に受からなかったことが挫折経験として心にあった。
芸能人が一流大学に入ると嫉妬してもやもやしていた。もっと勉強していれば受かっていて、こんな思いもしなくてすむのにと何度も思った。私は自分の進学した大学を誇りに思えないでいた。
第一志望に入れなかったのだから、せめて楽しい大学生活を過ごそうと心に決めたが、大学生活はそれほど楽しくなく、私の無念は成仏しなかった。
母には楽しい人生を送れなくて申し訳ないと思った。けれど、楽しくなく、うまくいかないのは全部自分のせいなのか、運命じゃないのかと怒りも湧いてきた。

私は今でも無念に思っている。たぶん一生思うのだろうと思う。
最近になって私は、働きながら昔挑戦していた大学を目指そうと思い始めた。
随分無謀な挑戦だ。でも私は夢を描くことで幸せになる。
私は夢があったことに関しては幸せだったかもしれない。私は挑戦しようと思う。