「私を必要としてくれる人」と付き合うことが好きだった。
だから、相手がメンヘラかストーカーになりやすい。
「私に夢中にさせること」が楽しくて、付き合う前の探り合いの時期が好きだった。
だけど、私が相手を求める以上に、相手に求められると、負担に感じてしまい、私の気持ちはどんどん冷めていく。

数か月かけてゆっくりと冷めていく私の気持ちとは対照的に、相手は「こんなに好きなのに」と言って、なかなか別れてくれない。
別れの時にはしばらく他の女の子とは付き合えないくらい、私という存在を確かなものにして、捨て台詞を残して、別れてきた。
私史上一番強烈だったのは、「私はあなたのママじゃない」と言って別れたことだ。

気になった男性を落とすゲームをしていた20歳の私が求めたのは

20歳の私が、恋人に求めたのは、毎日「好き」だと気持ちを伝えてくれること。
セックスの相性がいいこと。
身長が高いこと。
黒のワイシャツが似合うこと。

私が「好き」な気持ちよりも、相手が私を「好き」な気持ちが強くあってほしかった。
男性が女性を追いかけるような恋愛の方が、長続きすると信じていたから。

だから、「私のこと、好きになりそうだな」と思ったら、相手が恋に落ちるように、あざとい行動をしていた。
「だめ?」と言い返せば、たいていのことは思い通りになったし、仕事の自慢話ばかり聞かされても「わ~面白い、すごいね」と言えば、男性は褒められていい気分になる。

腰に手をあててくるような、背の高い整った顔つきの男性ばかりと、付き合っていた。そして、Instagramのストーリー投稿で、自慢する。
「いい男と付き合ってるでしょ」と。

「愛してるよ」と言ってくれる彼がいることに酔いしれていた

おしゃれなテラス席があるイタリアンレストランで、着飾った彼から言われるうわべだけの「愛してる」よりも、初夏に、洗濯物が部屋干しされたままの一人暮らしの部屋で、2人でギューっとハグして、肌を重ねた時にふと漏れる「はぁ、好き」の方が、幸せだと気づいたのは、3 年も付き合った彼氏と別れた後だった。

「愛してる」と言われることが、幸せの証だと信じていた。
毎晩、寝る前に「愛してるよ」と言ってくれる彼氏がいる私は、勝ち組だと思っていた。
20代前半、とりあえず将来の結婚相手はキープできた、と。
周りからは羨ましがられたし、彼はクラブやバーに遊びに行くようなタイプでもなく、比較的インドア派、ナンパもしなければ浮気もしたことがない、安定的な人だった。
恋人として、十分すぎるはずなのに。
いつからだろう、「愛してる」が言えなくなったのは。

「愛してる」と毎日言われても、はにかんだ笑顔で「私も」としか言い返せなくなった。
嘘をつくのは得意なはずなのに、「私も愛してるよ」が言えなかった。
その時、気づいた。この恋愛はもう終わりを迎えるのだと。
私は、「愛してるよ」とストレートに言ってくれる彼がいることに酔いしれていた。
「一途な彼氏」がいることに溺れていた。

だから別れた。

男をもてあそぶことをやめた私は、大人な恋愛ができるようになった

そう、大人な恋愛をしよう。
お互いに依存しすぎない、持続可能な恋愛を。
一人の時間も過ごしたい。家族団らんの時間も、友達とはしゃぐ時間も欲しい。だけど、恋人と週1回は会いたい。
そんな時に、理由をたくさん並べて取繕うことなく、素直に「次会うのは2週間先になっちゃうけど、再来週にしよう」と言って、仕事、家族、友人、恋人のバランスが保てること。

会いたいと思ったときには「会いたくなった」と言えること。
「会いたい」と言われても、真夜中や仕事の日など、会えないときは無理に会わないこと。
「会いたい」と言われて、いつでもすぐに会いに行くと、「呼べば来てくれること」が当たり前になってしまう。恋人は大切だけれど、同じくらい自分を大切にすること。

「会社の同期に告白された」と聞いても嫉妬しないこと。なぜなら恋人が人に好かれることは、恋人がいい人である証だから、寛大な心で受け入れてあげること。

「かっこいい」と思った時に、相手に伝えること。
「かわいい」と思った時に、顔を見てちゃんと「かわいいね」と言うこと。
想いは言葉として相手に伝えてから、初めて想いとして成立するから。

男をもてあそぶことをやめた私は、今、お互い同じくらい好きの気持ちがある、そんな大人な恋愛をしている。