「なんだかこの人、言っていることと、やっていることが一致しない」
「すごくやる気がある風だけど全然役に立たないじゃん!」
「本当にやる気あるの?」
「本当に使えない」
仕事で人に対し、そんなふうに思った経験はないだろうか。
実はこれ、私がアルバイトで働いているとき影で、あるいは面と向かってぶつけられた言葉たちである。
これらの言葉をぶつけられたとき、私は怒りや悔しさよりも、悲しいことに納得してしまう自分がいた。確かに私は「使えない」人間だ。

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初めてのアルバイトは大学生の頃で、トンカツレストランだった。この頃、私は「働く」という行為自体が楽しみでしかたなく、期待値も高かった。
しかし、いざ始まってみるとカツがうまく切れない、揚げ時間を間違える、ホールに出ればお客様からクレームが入るレベルで周りが見れていない、と失敗の連続だった。
それでも私は思っていたのだ。
「はじめはこんなもんだろう」「きっと、うまくいくようになる」。

……そう甘くはないことを悟ったのは、ある日の仕事帰り、ロッカールームでだった。
「唯花さんってさ、めちゃくちゃやる気ある風だけど、全ッ然仕事できないよね。フォローするこっちが迷惑!」
「ほんとだよねー。早く辞めてくれないかな。普通初めてのバイトの子でも、もうちょっとマシだよ」
私がいないと思って吐かれた言葉。それを話していたのは、可愛がってくれていると思っていたパートのおばさんたちだった。
それらの言葉で心が折れた私は、その後すぐにそのレストランを退職した。

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その後も、様々なアルバイトに挑戦した。
大学を辞めてからも、飲食店、塾講師、不動産事務、カラオケ店と挙げればきりがないほど数々のアルバイトで働いてきた。
しかし、決まって言われるのが冒頭のような言葉だ。
「使えない」
「やる気あるの?」
「言ってることと、やっていることが一致しない」
これらの言葉を向けられるたびに私はどんどん自信をなくし、仕事をすること自体に恐怖心を抱くようになっていった。
しかし、働かなくなって3年が経つ今になって、自分の仕事ぶりを客観視したときに思うのは、それらの言葉が正しかったんだなということだ。

やる気は確かにあった。
しかし、どの仕事でも新しい仕事を始めるたびに「始めはこんなもんだろう」「誰だって失敗はあるさ」と考えていた自分に対する甘さ。
与えられた仕事も満足にできないくせに、それ以外の業務改善案を上から目線で出し始めるチグハグさ。

他にも様々な要因はあるだろうが、結局これらの自分への甘さや他人への厳しさ、謙虚さのない態度が他の人の怒りを買い、態度を硬化させ、冒頭のような言葉を吐かれる原因に繋がっていたのだろうと思う。与えられた仕事も満足にできず、他のことにばかり目がいって輪を乱す私は、確かに「使えない」人間だったわけだ。

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働かなくなって3年が過ぎ、20代も半ばを迎え、働いていない現状にかなりの焦りを感じている。一方、働くことへの恐怖心もまだある。
そんな中で思う、「仕事ってなんだろう?」と。

多種多様な業種がこの世には存在しているが、そもそも仕事というのは「輪を乱さず」「与えられた役割を果たし」「必要な成果を上げる」ことであると、今の私は考えている。
今の私にそれができるかと言われると、それはまだ難しいだろう、とも思う。今また仕事を始めても、私はまた「使えない」人間になるだけだ。

今のB型作業所からA型作業所へ、そして障害者雇用での就労へ、とステップアップしていくのが、実のところ一番良いのだろうなとは思っている。
スモールステップを踏み、支援を受けながら仕事に対する向き合い方を変えていくことで、「使えない」人間から「役に立つ」人間に変わっていくことができたら良いと考える。

仕事とは「役に立つ」ことでお金をもらう行為なのだから、そういう人間になれることを目標に掲げ、今の私の居場所でできることを積み重ねていくしかないのだ。