高校時代の恩師が「やる気が出ないときはやる気が出てくるまで、とりあえず手を動かす」と言っていた。
私がとても尊敬していたその先生は、細くて華奢な身体からは想像もつかないくらいエネルギーを持った方で、言葉の力というものをとても信じている方だった。

◎          ◎

古文の先生で、その先生の授業はとても面白かった。教科書に書いてある物語が生き生きとしていて、ちょくちょく話す雑談が人生の糧になっていた。宿題をしていなくても、授業中にうるさくしていても、叱っていたり怒ったりしているところは見たことがなかった。
先生としての威厳みたいなものは皆無で、舐められてもおかしくない感じの先生なのに、クラスメートの誰もその先生を軽んじていなかったし、誰もが素直に言うことを聞いていた。
言葉はとても大事だからと常にポジティブなことを言っていたけれど、その言葉のどれも押し付けがましいところもなく、とても自然で、何より私は先生の言葉を聞くのが好きだった。
週に2日のたった1年間だけの授業で、古文の知識以外のものをたくさん教えてくれた。きっとクラスの全員に対して向き合ってくれていた、とてもよく見てくれていた。理想の大人だった。

その先生に出会って、一緒に過ごしたのはもう10年も前のことで、あの先生の言葉は私の中で、もうとてもおぼろげになった。
たった一つだけ、覚えているのがやる気の話、ただそれだけ。
やる気が出るまで手を動かし続ける、というあの言葉をしばらくずっと守っていたけれど、今はもう守っていない。いつからかやる気がでないときは、やらなくなった。
今の私は、先生から教わった唯一の憶えていることすらできなくなった。

◎          ◎

時々やる気がでないときに何もしないと、とても罪悪感を伴うことがある。時間を無駄にしてしまったとか、予定してたことができなかったとか。自己嫌悪に陥ったり、ひどく落ち込んだりする。
大人になって気づいたけれど、そもそもやる気を出さなきゃやり遂げられないことが世の中には多い気がする。仕事はもちろん、恋愛も、部屋の掃除も朝起きることすら辛くて、やる気を出さなければいけない日もある。
子供の頃は、やる気を出す頻度はこんなに高くなかった気がする。だから、ここぞってときだけで良かった。今はここぞって瞬間がここぞとばかりにやってくる。常にやる気を出しているのだ。
頑張りたくない、休みたいと思っていても、頑張らなければ、休んじゃいけないと自分に活を入れた。自分頑張れ、私ならできると思い込んで。
あるときそれに気づいたから、やる気がでないときはやる気を出すのをやめた。出さなきゃいけないときはちゃんと出しているから。出さなくていいやる気は出さない、出したいときに出す、それがやる気がでないときの対処法。現に今でも充分私はやる気を出しているじゃあないか。

◎          ◎

そういえば、今ふと思い出した先生の言葉がある。
「貴方たちはとても素晴らしいのよ。人はね、自分でも気づかないほどすごいパワーを持っているの。だから、人はおもしろいの、人生は楽しいの」
先生がしなやかな強さを持っている背景をしばらくしてあとから聞いた。それを聞いて、ますます尊敬してしまった。
先生と同じことを経験して、私は先生のようにすべてを自分の糧にできるだろうか、いや、できない気がする。
たまに先生の言葉を守っていない自分が嫌になることがある。いわゆる自己嫌悪状態になる。その時にこの言葉を思い出したい。
私は自分でも気づかないほどのすごいパワーを持っているのだと。だから、自己嫌悪になるなんてもったいないと、人生は楽しいのだから自己嫌悪になるなんてもったいないと。