小学生の頃、割と本が好きだったと思う。朝学校が始まると読書タイムが10分設けられ、各々好きな本を読む。その間会話することは禁止される。その10分で好きな小説にのめり込むのが好きだった。
しかし、学年が上がるにつれて、読む本は小説から漫画になった。そしていつの日からか本とはかけ離れた生活になった。
目標を失い、疲れ果てた私はSNSから離れ、再び本に手を出した
私が再び本を手にし出したのは25歳の頃だった。その頃私は、小学生の頃よりはるかに成長していていろんな経験をし、そして疲れ果てていた。
25歳になって周囲の環境が一変した。結婚、出産、転職。さまざまな知人の情報がSNSを飛び交った。
正直私は焦っていた。私は私で留学する目標があった。それは仕事をする糧になっていて、大袈裟にいうと生きるモチベーションでもあった。
コツコツと貯金をし、休憩時間の合間を縫って語学勉強をした。将来の自分のために。
そしていざ、行こう。そう思った瞬間にコロナウイルスの影響で、海外との行き来が完全に停止した。ビザをとって1ヶ月後のことだった。
私は目標も、頑張る糧も失い完全に止まってしまった。仕事のやる気さえ消えた。
「周りのみんなはぞれぞれの道を歩いているのに、私だけ赤信号でずっと止まってる」
そんな感覚だった。隣の芝は青く見える。本当にその通りだった。
私はSNSから離れることにした。特に普段から意味もなく見ていただけだ。すると、案外時間が残った。この時間をどうするか考えたときに思いついたのが「読書」だった。
本読むたびに登場人物が私の心に住み着き、「多数の感情」が生まれる
久しく小説も読んでいない。本屋に行ったはいいものの、何から読もうか悩んだ。まずは読みやすそうな薄い小説を手にとった。
私はネガティブな考え方の持ち主だった。悲しい結末を考えておいた方が、いざそうなった時に自分が傷つかないことを知っている。だが、その考え方は時として自分を苦しめることがある。
また、仕事でクレームがあった時にその言葉をそのまま受け止めて流すことができず、ずっと自分の中に刺さったままで消化するのに時間がかかった。
読書を始めてから、自分の考え方に少しずつ変化があった。読んできた小説のさまざまな登場人物が自分の心に住み着いた。すると、何か少しのモヤッとした気持ちも「私」だけでなく、「もう1人の存在」あるいは「多数の感情」も生まれてきた。
これが率直な感想であり、不思議な感覚だった。
私の中にマイナスの感情が生まれたと思ったら、そのすぐ横に違うプラスの考え方もいる。または、違う方向から見た意見もある。
それらを比較すると、だんだん「これはこう捉える方がいいかもしれない」と選択できた。
そのおかげで私は今回の目標についてあまりにも熱中していて、視野が狭くなっていたことにも気がついた。もっと日々視野を広く持つことを、読書をすることから学ぶことができた。
本で広がった視野と出会い。あの頃より自分らしい生活ができている
小説好きな友人とも出会った。私が難しそうだなと思い込んで読まなかったジャンルや長編小説など、面白い本をたくさん貸してくれた。実際読んでみると、想像とは違い本当に読みやすく内容も面白かった。
「長編の小説は長いぶん、物語をたくさん楽しめるからね」と友人が言った。
長編小説は長くて、難しいという先入観を友人のお陰で消すこともできたし、この考え方は素敵だと思った。
1年が経った今では、小説が常に私のカバンの中に入っている。本屋巡りも本の貸し借りもとても楽しい。視野を広げることや考え方の方向性を増やすことで、あの頃より自分らしい生活ができていると思う。
留学のためのビザは残念ながら切れてしまったが、違うビザでも旅行でも将来いくことは可能だし、語学勉強もネットにはさまざまなコミュニティがあり、参加することもできる。
希望は捨てず見方を変える。これからも忘れずにしていきたい。