面倒くさい。
メールを返すのが面倒くさい。急かされている仕事はまだ終わっていないけど、もう帰りたい。お腹は空いたが、ごはんを決めるのが面倒くさい。家に帰って床に寝っ転がると、風呂への道のりが遠い。やかんは沸騰したが、火を止めに立ち上がるのが面倒くさい。尿意を催してきたが、トイレに行くのも面倒くさい……多くの面倒くさいことに囲まれた人生の中で、やる気に満ち溢れている瞬間はどのぐらいあるのだろう、云々。

こんな気持ちのときにやる気に満ち溢れた人を見ると、素直に「すごいなあ」と感心すると同時に、心の中の面倒くさがりなわたしが「いけすかね〜」と眉をしかめる。
自分だってやる気に満ち溢れる瞬間はあるし、やる気がずっと欠如しているわけではない。それでも、自分にやる気がないとき、視界に入る全てのやる気に満ち溢れた人に対し、邪悪な気持ちがむくむくと湧きあがる。
そしてそんな自分が嫌になるし、さらにやる気は出なくなって、悪循環が生まれる。

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やる気が出ず、思うように物事が捗らないとき。心の中で、嫌な自分が首をもたげて出てこようとするとき。そんなとき、わたしは心の中で「まあわたし、ものぐさ姫だからな〜」とつぶやく。
そもそも、ものぐさ姫とはいつどこから湧いて出てきたのか、何者なのか……は全くわからないが、気づけばわたしの心の中に生まれていた言葉である。
己を「姫」と呼ぶだけで、なんだかかわいいのでご機嫌になれる上、「ものぐさ姫ならしょうがないか!」とポジティブに諦められるようになる、小さなおまじないである。
ものぐさ姫(a.k.a.わたし)はものぐさであることに対して誇り高いので、やる気に満ち溢れた他者や、期限が迫るタスクに対しても高貴な姿勢を崩さない。いともシンプルに「わたしは今、やりたくないのよ」とツンとした姿勢(気持ちだけ)で、全力でやる気をなくしてだらしなーく床に寝そべっている。

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しかし、そんな最強のものぐさ姫をもってしても、やる気のない自分への折り合いがつかないことがたまにある。そんなときは、本当に小さなタスクをひとつこなすようにしている。
面倒な問題そのものではなく、その脇にある、明日やるのでも全然いいような優先度47位くらいの、瑣末なイージータスク。
たとえば、「穴が空いた靴下を捨てる(タンスからボロ布置き場に移動するだけ)」とか「すぐに返せるメールを1本返す(ありがとうございます、OKですと返すだけ)」、ひどいときは「手帳に打ち合わせの予定を書き写す(無心での写経の如し)」とか……。
瑣末なことだとしても、何かをひとつ片付けるだけで、気持ちはほんの少し軽くなる。こんなにやる気がないときでも、ほんの少しのTO DOを片付けられる自分、否、ものぐさ姫、エライ!と自分を褒めるムーブが起きる相乗効果もあるので、おすすめだ。

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この先長く続けていくつもりの人生、なかなかプリンセスになれるチャンスはない。自分と大切に長く付き合っていくためにも、やる気のない自分もやさしく受け入れるほうが、人生は豊かになると思うのだ。
やる気にみなぎった自分だけを愛することは簡単だけど、少し息苦しい。今日も人生ちょいハードモードなわたしたちは結局、限界を迎えたシンクを見ればお皿を洗うし、臭い始めたゴミ袋を掴んで家を出るし、上司からの不意打ちの「あれどうなった?」の質問に対して「確認します!」とトーンだけ明るく返事をするのだから。
日々、やる気がなくても踏ん張る自分を少し甘やかすために、ものぐさ姫とおだててあげてもいいはずだ。人生のプリンセスになれるチャンスは、ものぐさなやつこそが制すのだ。