好きな映画の主演俳優のショッキングな発言に、考え込んでしまった

「演じたのは間違いだった」
映画『リリーのすべて』で主演を務めたエディ・レッドメインのコメントをニュースで読んだ時、強い引っかかりをおぼえた。

『リリーのすべて』は、世界初の性別適合手術を受けたデンマーク人画家、リリー・エルベをモデルに作られた映画で、その繊細な空気感と丁寧な作りに感銘を受けた私は、作品の解説や感想を調べていて、そのニュースに行き当たった。
好きだと感じた映画の主演俳優が、その役を演じたことについて後悔するようなコメントを残したという事実が単純にショックだった。ニュース記事を読みながらしばし呆然としていたが、時間が経つにつれて、今度は深く考え込んでしまった。

彼の後悔の理由が、「リリー役はトランスジェンダー女性が演じるべきだった」という点にあったからだ。

大学時代の憧れの先輩がSNSでカミングアウトしているのを発見した

話は遡って大学生の頃、同じサークルに憧れの先輩がいた。柔らかな声のトーンと笑顔がとても好きで、普段のややトリッキーな言動や独特なセンス、中性的な雰囲気もすべてかっこよく見え、憧れていた。
卒業してからは連絡先もわからなくなり、すっかり疎遠になってしまったが、心の片隅でずっと「先輩、元気かな」と考えていた。

その後、ひょんなことからSNSで先輩のアカウントを発見した。
過去の投稿から、卒業後改めて学生に戻りジェンダーについての研究をしてきたこと、現在ホルモン治療を受けていること、これまでの名前とは異なる、念願の女性名での学生証を受け取ったことなどがわかった。最近投稿された写真には、髪も伸びて、以前よりさらに柔らかな雰囲気をまとった先輩の姿があった。
先輩は、アカウント上で繰り返し繰り返し訴えていた。
「自分は男性のコミュニティにも女性のコミュニティにも馴染めない」「トランスジェンダーが生きていくには世間の状況は厳しすぎる」と。

もし先輩がこのエッセイを読んだら、よく知らないくせにと怒られるかもしれない。知り合いの自分を利用して、トランスジェンダーについて文章を書いて、わかったような気になっているんじゃないかと、咎められるかもしれない。
わからない。わからないけど、それでも書かずにはいられなかった。

映画『リリーのすべて』を見て、トランスジェンダー女性を演じるエディ・レッドメインの演技を見て、私は少なからず感銘を受けた。リリーの感じた痛みや希望を、エディという俳優を通じて共有できたような気がした。その感動すらも、本来感じるべきではなかったのかと、ニュースを読んでから葛藤していた。

私たちは誰も、他人のことを本当は理解できないのかもしれない

そんな折に、映画『片袖の魚』を観た。トランスジェンダー当事者でファッションモデルの、イシヅカユウさん主演の映画。
その作品に、かつての先輩も出演していた。
私は自然と、先輩の姿と主演のイシヅカユウさんの姿を重ねていた。
トランスジェンダー女性として生きる主人公が、同窓会でかつての友人と再会する。あらすじだけ追えばなんてことのない物語だったけれど、大袈裟な演出や劇的な展開もない、曖昧な雰囲気のその映画の中に、実際にその性を生きている人たちのナマの感情が見えたような気がした。

『リリーのすべて』を観て、エディ・レッドメインの俳優が演じるトランスジェンダー女性の姿に、感動した自分もいる。でも、痛みのこもった先輩のSNS投稿を見て、「当事者にしかわからないトランスジェンダーの苦しみがある」と感じたのも事実だ。

これは、トランスジェンダーに限った話じゃない。
私たちは誰しも、他人のことを本当には理解できないのだと、わかっているべきかもしれない。

スクリーンに映ったイシヅカユウさんの、柔らかくも少し息苦しそうな、水槽の中の魚を思わせる表情を見て、そんなことを考えた。