うちではやる気のことを「やる気さん」と呼び、本人から切り離して他人扱いしている。
やる気さんが我が家に登場し始めたのは、2年前の夏だった。
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それは大学を卒業して、パートしかしてこなかった私が正社員になって奮闘していたときだった。
コロナによって仕事がないという世情に対し、当時勤めていた会社の業務内容は、むしろステイホームによって需要が増すものだった。
自分で言うのも何だけど、私はど真面目で器用貧乏。すべてが初めてという環境なのに何となくできてしまい、身の丈以上の業務を担当し、キャパオーバーと疲労で鬱になってしまった。そんなときに今まで頑張ってくれた「やる気さん」が急に家を飛び出し、長い家出をしてしまった。
鬱のときはやる気というやる気が出ず、楽しいという感情も湧かず、毎日真っ暗なトンネルの中にいるようだった。
それでもなんとか近所の公園へ散歩に行ったり、レンタルショップに毎日漫画を借りに行くことで、やる気さんを迎えいれる態勢が少しずつできた。やる気さんの「家出」は多かったが、だんだんその頻度は減り、一回の家出の長さも短くなっていった。
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やる気を出さなきゃと思うほど体は動かないし、かえってストレスになる。そもそも心は動きたくないと思っているんだし、葛藤してもどうせ動かないんだから、最初から動かないと決めた方が心も体も楽だ。
だから私はやる気が出ないときは、何もやらないことにしている。お皿がキッチンに溜まって凄いことになってもやらないし、洗面所が洗濯物の山になっていてもやらない。風邪をひいたときと同じように過ごしている。
やる気が出ないのも、疲れとか何かしらの原因があると思う。だって毎日やる気が出ないわけじゃないから。やる気がないときは「やる気がないから仕方ない」でいい。
そんなときこそ美味しいものを食べて、ゆっくり休んで、今日はむしろ家事をしちゃダメって決めると、ちょっと目が覚めるのか、ぐちゃぐちゃな部屋と悲惨な現状を前にむず痒くなる。やる気のないときは、むしろリセットするチャンスになるかも。
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でも1番やっかいなのは、中途半端にやる気がないとき。私にとっては仕事終わりに皿を洗い、晩御飯を作らなきゃならないときがそう。食費を考えると今日は外食でいいかと言えないけど、この重い腰を上げなきゃいけないかと思うとうんざりするとき。
そんなときは歌を歌う。歌を歌いながらお湯で汚れをすすいで、洗いやすく場を整える。そうやって自分にエンジンをかけて徐々に作業に集中させていく。
感情を捨てて気を紛らす。禅のように何事にも集中できたら嬉しいけど、日常の中だと修行僧でもない私は、仕事でしかそれができない。
最終的には僧のように感情に振り回されず、何事も淡々とこなす人になりたいが、それはこの日常を繰り返した果てにあるんだと思う。
歌を歌って気を紛らすなんて、僧は絶対にしないけど、私なりのやり方で切り替え方を身につけたい。最近見つけた、自分に合う解決法の「禅」を日常に取り入れたら、やる気さんとの付き合いもちょっと良くなった。まだまだ修行はこれからだ。