小鍋の水が、ふつふつと泡をたてている。
金曜日の21:00。転職したばかりの私は、慣れない仕事でずっしりと疲れていた。明日は休みだからと、家に帰ってから化粧も落とさずに床に寝転がって数時間。やっとの思いで身体を起こしたのは、グー、とお腹が鳴ったからだった。
今から食事をするにはやや遅い気がして、お腹の音を無視するように一度目を閉じてはみたが、再びグー、とお腹が鳴って一向に眠れる気配がなかった。だから、仕方がなく身体を起こして、なんとなく小鍋に水を入れてIHコンロの電源をいれたのだ。

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ふつふつと泡をたてる水を見ながら、そういえば何を作ろうとしていたのだろうと考えた。
お腹は空いているけれど、頭が働いていないのか、何となくテキトーにお湯を作っていたらしい。大きく溜息をついて、私は今日初めて冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中身は、あまりにも寂しかった。そこからポツンと中央に置かれたゆでうどんと、ラスト1個の卵を取り出して、私はまた大きな溜息をつきながら扉を閉めた。
ふつふつと沸きあがっている小鍋にうどんを放り込む。うどんに対して鍋が小さいからか、少し窮屈そうだ。なんだか最近の自分と重なるような気がして、私は急いで箸でそれをほぐした。
よくほぐれたうどんを見つめて、私は一度IHコンロの電源を切った。すると途端に水の泡は消えて、水面から白い湯気がゆらゆらと揺れた。そこで初めて換気扇を回していなかったことに気付いて、私は換気扇のスイッチを入れ、そのまま床に座り込んだ。

ゴーゴー、という換気扇の音が響く。私はやっぱり大きな溜息をつく。もうここまでくると、これが溜息なのか深呼吸なのかわからなくなってきた。それでも私は首を垂らしながら、ふうっ、と息を吐くのだ。
せっかく明日は休みなのに、どうしてこうも身体に力が入らないのだろう。化粧もぐちゃぐちゃになっているだろうにそのままだ。辛うじてコンタクトだけは外した記憶があるが、着替えさえしていない。きっと傍からみたら、私は立派なくたびれたアラサーOLなのだろう。学生時代まではそんな自分、想像もしていなかったのに。時の流れの無情さにまた大きく溜息をついた。

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ひとしきり深呼吸なのか溜息なのかわからないそれを繰り返したあと、私は「よいしょ」と重たい腰を上げて、再びIHコンロの電源をいれた。それはすぐにふつふつと沸きあがった。
下の棚からめんつゆを取り出して、テキトーにどばどばと小鍋に流し込む。昔はめんつゆを使わずに、醤油やみりんを使って頑張っていたけれど、一度これを使うようになってからあまりの便利さに今ではずっと頼りきっている。
沸きあがる水にほどよい色がついたのを確認して、今度はどんぶりに片栗粉をいれて、水で溶かす。それを小鍋にいれたら途端に色のついた水はもったりとしたとろみがついた。沸きあがる泡がパチンと弾けるのがよくわかる。
私は、先ほどのどんぶりに卵を割っていれ、軽く溶きほぐして、そのまま小鍋に流し込んだ。卵はじわじわと色を変えていく。私はそれをみて、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
ぼんやり、ぼんやり、卵が揺れるのを見つめる。その間、グー、グー、と繰り返しお腹が鳴ったが気付かないフリをしておいた。

私は、数分ぼうっと鍋の中をみつめて、卵の変化を確認してからIHコンロの電源を切った。
ああ、やっと、今日の晩御飯ができた。
どんぶりにそれを移そうかと迷ったが、それもなんだか面倒な気がして、私は小鍋ごと机へ持っていく。家には鍋敷きなんて立派なものはないから、台ふきを代用することとする。
鍋を机におき、そして一人用の椅子にどしんと腰を掛けたら、まるで今日一日が終わったような気がした。
これから私は目の前の晩御飯を食べ、化粧を落とし、そしてシャワーを浴びなくてはいけない。いけないのだけど、金曜日の夜はどうもやる気がでない。