基本的には何事においてもやる気がない。
これまで、やるべきことや、やった方が良いことを蔑ろにしてきた。
常々思うのは、生きていくのはそれだけで大変なんだよ、ということだ。
頑張っている人は偉いけど、頑張れない人も、それがどうした無理するな、と思う。
わたしが国を作るなら、他人にも自分にも存分に甘やかす社会にする。
◎ ◎
みんなが当然のように送っている生活は、本当に面倒臭いことの連続で、大体は同じことの繰り返しだ。
わたしは、やらなきゃいけないことを、期限ギリギリまで先延ばしにしてしまう。
誰にも喜ばれないのに、何事も最終局面まで持っていく。
一人暮らしをしていた頃は、幾度となく光熱費の支払い期限を過ぎた。
お金がないわけじゃない。
支払い期限内に紙を持って、コンビニへ行って、お金を払う。わたしにはその一連の行動が難しかった。
書類や手続きが世界で一番嫌いだし苦手なので、目の前にするだけでやる気が削がれていく。でもやらないと社会的に生きていけない。世知辛い。
ちゃんと出来ている人は本当にすごいと思う。手放しで尊敬している。
そんなわたしが生活を回していくために、“いかに楽をするか”を大切にしている。
今は外に出かける機会もほとんどないので、お風呂にはあまり入らない。
お風呂ほどタスクが多いことはない。
服を脱いで、髪の毛を洗って、顔を洗って、体まで洗う。
お風呂を出たらタオルで拭かなくてはいけない。さっき濡らしたばかりなのに。
そして服を着る。これだってさっき脱いだばかりだ。
髪の毛を乾かすのも相当体力が要る。
こんな大変なことは毎日出来ないので、諦めた。
わたしのことを昔から知っている友達は、まだ言ってるんだ……と思うだろう。
一生言い続ける。
◎ ◎
最近はパートナーのお弁当を作っているが、まあやる気が出ないので、1食作るごとに500円を、ふたりの貯金箱に入れてもらっている。
「ありがとう」「美味しかった」の言葉をもらっても、わたしのやる気はでない。
冷凍食品を駆使して作ったお弁当が500円になるなんて、良い話だ。
冷凍食品ばかりのお弁当に嫌な顔をする人もいるみたいだが、冷凍されていたから不味いなんてことはないだろう。手間をかけることを求める人がいるから、楽ができる道に進みにくい。
そういう人たちは手間の対価を支払ってくれるのだろうか。
料理研究家の土井先生も言っていた。食べる人は作る人を守らなきゃいけない、って。
冷蔵庫の管理をして、メニューを決めて、買い物をして、洗い物と同時進行で作っていく。
守ってくれ、こんなことを毎日している尊い人たちを。
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仲の良い友達と旅行に行くときは、しばしば別行動になる。
わたしは、険しい道のりを乗り越えたら良い景色が見られるよ、という場所にはあまり行かない。頑張りたくないので。
体力がなくてすぐ疲れるし、無理をするとどこかしら体調が悪くなる。
頑張らないから体力がないのだろうけど、体力をつけるために頑張るつもりはない。
その友達も、旅行や遠出をすると必ず昼寝をする。結構ちゃんと眠る。
わたしたちのルールは「好きな時に食べて、好きな時に寝て、行きたい人は行って、行きたくない人は行かない。頑張らない」の一つだけだ。
眠いなら寝れば良いし、行きたくないなら行かなければ良い。
無理せず自由に楽しむことが、最大限に楽しむコツである。
お弁当貯金のように、やる気をだすための工夫もするが、結局はやる気がでないのなら仕方ないと思っている。
やる気をだす方法を考えるのではなく、やる気がなくてもできる方法や、やらなくても良い方法を考える。
それだけで毎日を生きていくのも幾分楽になる。