私は小さい頃からずっと、いわゆる「いい子」だった。
小学生の頃は読書感想文が入賞して、自由研究は県大会に選ばれて、学級委員にもなるような子だった。
中学生時代は、いい高校に行くために通信簿はオール5、生徒会長も務めるような、いわゆる優等生。
それ以降も、どちらかと言えば品行方正な学生時代を過ごし、大手企業に就職した。
就職が決まった時、やっとゴール出来たって思った。
だから、社会人になったこれからはそんなに頑張らなくていい、いい子はやめにしていい、あとはこのレールから落ちないように気を付けるだけでいい、そう思っていた。
社会は思っていたより厳しく、理不尽でできているようだった
でも、実際、社会は思っていた何倍も厳しい世界だった。
自分で稼いで、自分の力で自立して生きていくのは、子供の頃想像していたよりはるかに難しいことだと、すぐに分かった。
いくらホワイト企業だろうが、大企業だろうが、この世に多分楽な仕事なんてない(あるかもしれないけど、そう思えているならあなたはとてもラッキーか、自分に厳しい頑張り屋さんなんだと思う)。
「才能で戦う世界ではなかなか食っていけないから、いい大学を出て、いい会社に勤めなさい。そうすれば将来安泰だから」
その言葉を疑うことなく信じていた。
立派な大人たちによって、綺麗に作られていると思っていた社会は、実際は理不尽なことで出来ているようなもので、納得できないことをやらなきゃいけないとか、反論しても無駄だと口をつぐむことに慣れるのに時間はかからなかった。
スマートにこなせればそれに越したことはないけど、納得できないことの積み重ねの中で、突然ある日、口が動かなくなった。
私が悪いとは思えないけど、ここは状況的に私が謝っておくべきだ、という時に、口が「あ」の状態から動かせなくなった。
頑張って「いい子」でいて掴んだ生活が、こんなに苦しいなんて
自分が何をすればいいのか分かっているはずなのに、体が私にそうさせなかった。
その場でなんとか電話を折り返します、と言って、電話を切った後、私にはこの仕事をもう続けることは出来ない、と悟った。
小さい頃からいい子を続けて、掴んだ生活。
でも、それって、こんなに苦しいことだったなんて知らなかった。
自分が頑張って掴んだ生活のはずなのに、自分の本当の声を全然聞けていなかったということに全然気が付かなかった。
いや、私は自分の幸せを選んできたわけじゃない、盲目的に、他人の言葉を信じるという一番楽な道を通ってきただけだと、突然気づいた。
だから、苦労して新卒で入社した会社を辞めると決断した時、初めて自分を心の底から肯定できた気持ちになった。
自分はやっと自分を選べたんだ、って、どんな時より、自信が持てたし、自分に感謝した。
選び取った「いい子」を辞める。私は自分の声で生きていける
あの時、私に「もう謝らなくていいよ」ってストップをかけてくれた自分。
あの時、私がこの仕事を、この自分で引いたレールを降りてもいいよ、と決断してくれたこと。
あの決断があったから、私は今、いい子でいることを辞めた私を選んだんだ、私を選び取ったんだと、自信を持って生きている。
レールの上を進むことは決して悪いことなんかじゃない。
レールは私を守ってくれた、頑張る指針をくれた。
でも、もう私はレールがなくても、自分の声で生きていける強い大人になれたから、大丈夫だよ。
これからは、自分の決断で、誰も安泰だと言ってはくれない、予想不可能な道を歩いていこうと思う。