そうだった。ふと思い出した。
あのニュースを見た日から、私の偏見が始まったのだと。
あの時から私は、“それ”に関するニュースを極力避けるようになってしまったのだ。
自分が貼り付けてしまった「レッテル」によって。

◎          ◎

私は中学2年生だった。
反抗期なのかよくわからなかったがとにかく敏感な年頃だったらしく、ちょっとしたことも気になるし、ちょっとしたことで傷ついたりもした。

そんな私の前に飛び込んできたニュース。
「イスラム過激派が日本人を人質に…」
これを聞いたとき、頭の中が真っ白になってしまった。
イスラム過激派?日本人?人質?
そんなことがあり得るのか?なぜそうなったのか?と頭の中は混乱するばかり。
「日本国政府に身代金の要求が…」
身代金…国はどうするのか?
人命救助のためには身代金を受け渡すことがきっと最善だろう。
でも、国側はどういう対応をするのか?
当時中学2年生の私はこのようなことを考えていた。

ニュースで取り上げられるのはイスラム過激派(イスラム国、IS)のことが圧倒的に多く、私は徐々に「イスラム過激派=イスラム教」という結びつきを強めてしまうことが多くなった。
それと同時に、「国の在り方」というものに疑問を持つようになった。

心の中はどうにも落ち着きがない。
イスラム教を信じる人が全員イスラム過激派になるわけではないのに、どこか勝手に偏見のようなものを持ち始めた私がいた。
“宗教=過激にもなりうる”のだと、頭の中で連想するようになった。
また、国のお偉いさん方が人質への対応を渋っているようにも見えた。
人質への対応が遅くなればなるほど、家族の苦しみも長くなる。
対応できない理由がなにかあるのか?など、色々考えていたが私個人にできることは何もなかった。

ただ淡々といつものように講義を受け、淡々と部活をし、淡々と家に帰る。
事態は深刻なのに、いつもと変わらない毎日を過ごしている自分が憎らしかった。
そして何か心の中に偏見や違和感を抱いてしまう自分が嫌だった。
でも、そのような日々を送ることしかできなかった。
そうするしかなかった。

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この事件の結果はどうなったのか。
みなさんも知っているように、人質にされた日本人の方は亡くなった。
その方たちには家族もいた。もちろん友人たちも。
多くの人が悲しんだ。衝撃を受けた。そして、人間の恐ろしさを知った。
このニュースを聞いたときも、私は何もできなかった。虚無感に包まれたままだった。私は無力だった。
ただ心の中に宗教に対する偏見と国の対応に対する違和感だけが残った。

宗教は何のために存在するのか。
神について深く考えたことのない私には分からない。
どうして人々の心の支えになるのかも。
ただ私の認識では、宗教は心の拠り所や安定剤にもなる一方で、時として劇薬にもなりうるのだと思う。
しかし、だからといって全ての人が劇薬を飲むとは限らない。一人ひとりにその人なりの信仰がある。その心を傷つけてはならない。
私があのニュースのときに抱いた偏見は、信仰心を持つ人を知らず知らずのうちに傷つけていたのかもしれない。

国は何のために存在するのか。
国民を守るため?権力者の利権を守るため?
それとも武力を行使するための枠組みなのか?
国とは一体何なのか、私にはまだ分からない。だからこそ考える余地がある。

あのニュースを聞いたときから、かなりの時間が流れつつある。
あのニュースが流れたときと同じように、今の世界もどこかピリピリとしたような空気が張り詰めている。
今の現状をどのように捉えるのか。理解するのか。
あのときと同じように考えていきたい。