ドキドキしていた。人生で初めて、自分のお金で新幹線を予約して、ホテルをとった。
片道一万円。ホテルは素泊まり三千円。
月五万円のお給料しか財源のない大学生にとって、とてつもない大金だった。
それでも行かなきゃいけない、とわたしに信じ込ませていたのは、あの頃のわたしの若さと、盲目的な信仰心だっただろうか。
あの旅はわたしに必要だった。

生きているのが苦しかった思春期。毎日イヤホンを耳につっこんだ

彼らを好きになったのは十歳の時だった。
たまたまラジオから流れてきた流行歌に、心臓が聞いたことのない音を立てた。
これだ。わたしは絶対、これを好きになる。運命めいたものを感じたのは、初めてだった。

それを歌っていた瀬戸内で結成されたロックバンドに、幼いわたしはどんどんのめり込んでいって、思春期に差し掛かる頃にはもはや信仰に近い思いを抱いていた。

信仰って聞くと笑うかもしれないけれど、ほんとうに、宗教的なものは命を救う。
つまるところ十代半ばになったわたしは毎日死にたがっていて、毎日苦しい苦しいってノートに書き殴って、ホームセンターでロープを買ってみたりもして、でも死ねなくて、死ぬのは怖くて、どうしたら良いかわかっていなかった。

生きているのが苦しかった思春期のわたしは、毎日イヤホンを耳につっこんでいた。
新譜が出るらしい。じゃあそれまで生きよう。
雑誌が出るらしい。じゃあそれまで生きよう。
ライブがあるらしい。チケット代、出してもらえるかな。

自分を自分の力で支え切れなくなった時、すがるものが一つあれば

そんなふうに背中を押されて、なんとか生き延びて、幸運にも大学生になれた。
死んでしまいたい、と涙を流す回数が減った頃、わたしを生かしてくれたロックバンドの故郷への旅行を計画した。

宗教でなくとも、信仰というものは、人間をこの世に繋ぎ止める力がある。
それがわたしのようにロックバンドであれ、彼のようにクラシックミュージックであれ、彼女のように恋であれ。
自分を自分の力で支え切れなくなった時、すがるものが一つあれば。一つさえあれば。報われるような祈りの場があれば。報われるっていうのは、つまり新曲であったり、ライブであったり。わかりやすくて良いでしょう。
そうやってわたしを繋ぎ止めてくれた信仰心へのお礼参りとでも言えば良かったか、二万三千円をドキドキしながら振り込んで、瀬戸内に行ったのは二十歳の五月だった。

目を閉じて、潮風の匂いを感じて、五感が静かに躍動していた

海を身近に感じずに育ったわたしにとって、穏やかであるはずの瀬戸内の海はそれでも少し怖かった。落ちたら絶対に登って来られない、深い深い青。穏やかに、しかし貪婪(どんらん)に、何もかもを飲み込んでいきそうな、青。
この海を見て育った人たちが紡いだ音楽が、あの頃のわたしを生かしたんだ、という確かな実感。
この青の深さが、きっとあの頃のわたしの死への思いを飲み込んでくれたんだろう、と、訳もなく思えた。
ロックバンドへの信仰が、自然への信仰に確かに姿を変えた瞬間だった。

煤けた関西の空気では感じられないような、澄んだ自然の空気が肺を満たしていた。イヤホンを耳につっこんで、何度もわたしを生かした音楽を身体に流し込んで、目を閉じて、潮風の匂いを感じて、五感が静かに躍動しているのを感じた。

生かしてきたのだ。この自然が彼らを。彼らがわたしを。そしてわたしが何かを…?

こうやって人間は連綿と続く。死なずに生きてきた自分を褒め称えた

旅に出て、涙を流したのは初めてだった。
こうやって人間は連綿と続いていくんだ、と理由もない確信を得て、死なずに生きてきた自分を褒め称えた。

信仰心は人間を旅に駆り立てる。すがったものを確かな形でとらえるために。明日も生きていくために。
そこでとらえた形がたまたま自然であったなら、わたしはその空気を吸い込んだり、瞳に青や緑を映したりして、わたしを生かしている世界の端っこを、つまり自然の雄大さの一片を、瞬間的に理解してしまう。
それはすごく怖いことで、光栄なことで、涙を流さずにいられないことで、明日も生きていく力を与えられることであって。

名産の八朔の香りを胸いっぱいに吸い込んだ時、またわたしは背中を押された。
生きていこう。