ごめんなさい。お母さん。きっと私はこれからも、アナタとは仲良くなれないです。しかしそれは私のせいでもアナタのせいでもございません。それは私達の根本的な考え方の違いだからです。
親子は仲が良く、趣味嗜好も似ていて、母の好きなものは子の好きなもの。母が勧めたものを子は好きになるもの。親は子の、子は親の一番の理解者となる。そうアナタは信じていたのですね。でもね、ごめんなさい。アナタが好きで信仰している宗教もよい未来へと進むようにと一緒にしたお祈りも、アナタが尊敬する教祖様も私はひどく嫌いなのです。

私が小学校四年生の頃、あなたは休みの日になると、本を買ってあげるからと言ってお祈りに参加するようにと誘っていましたね。私が本を好きな子供だからと知っていたから。だからそう言ったのでしょう。私はとても嬉しかったです。好きな本を買ってもらえるうえに、この頃にはお祈りを一生懸命に行えばアナタに褒めてもらえることを知っていたからです。
子どもという生き物は親が大好きです。きっと、本能的に自分のことを守ってくれる人、愛してくれる人だと認識しているのでしょう。私の家には父親がいません。私にとっての親は母のみでした。だから、私は母であるアナタに好かれようと必死でした。大きな声で読経をし、信じているわけでもない神様に頭を垂らし、神様ではなくアナタに喜んでもらえるようにお祈りをしていました。

私はだんだんとお祈りにはいかないと母に反抗するようになった

本当は、私からアナタを取り上げていく神様なんて大嫌いです。最初は2、3週間に1回、それが隔週となり1週間に1回とだんだんお祈りに行く日が増えていきました。その頃には私も察していました。アナタが私のために神様のもとへ行くのではなく、アナタがアナタ自身のために神様のもとへと行っていることを。そして私はだんだんとお祈りにはいかないと母に反抗するようになっていきました。

小学校高学年になると、私は携帯を持たせてもらえるようになりました。これにより、ネットが身近となりました。そして、私は携帯を使いアナタが信仰している宗教について調べました。やはりそうかと思ったことを今でも覚えています。アナタの信じて疑わない宗教は私からすればカルト以外の何物でもなかったからです。その日を境に私はアナタに何度も何度も宗教をやめてほしいとお願いしました。私のことを大事にしているのならばやめてくれるはずだと思っていました。

結果は残念なものでした。アナタとの関係はだんだんと悪くなり、私は自身がカルト宗教に入信していることを嫌悪するようになりました。ことあるごとに宗教のことで喧嘩をするようになり、そしてついに私は自分だけでもその宗教から退会させてほしいと話しました。その夜、アナタと私は退会のことで取っ組み合いとなりましたね。あの時、泣いたアナタから受けたビンタを今でも忘れられません。

アナタにとってはその宗教が救いであったことが今ならわかる

でも、今ならばわかります。アナタにとってはその宗教が救いであったということが。
もしも、自分が人生の荒波の中でこれから生きていかなければならないとして、そこに子ども2人という重りをかせられたとしたらどうするだろう。きっと波に流されまいと2人を抱えながら泳ぐだろうし、船が見えたのならば助けてと大きな声で叫び、船体にしがみついたでしょう。私と弟を抱きしめたアナタはそうでした。そして、その船が宗教であったのだと今ならそう思うことが出来るのです。そして、それを理解できるようになったのはアナタの信仰している宗教を嫌いになり、アナタのおかげで大人になれたからだと思います。

今年からアナタは宗教の学校に通い出すようになりました。
ごめんなさい。お母さん。きっと私はこれからも、アナタとは仲良くなれないです。しかしそれは私のせいでもアナタのせいでもございません。何故なら私は、アナタの信仰している宗教が嫌いだからです。
だけれど私を育ててくれてありがとうございます。