料理を人に振る舞うことが好きだ。
両親が共働きだったこともあり、小さい頃からご飯を作ったり夕食の買い物をしたりすることが多く、小学校高学年になった時には一通りの工程をこなせるようになっていた。
おかげで今は料理がストレス解消になるし、家事として負担に思うこともあまりない。20代後半に入った今、料理をすることのハードルを下げてくれたことを親に感謝している。
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実家から出るまでは、料理自体が好きだと思っていた。しかし、自分しか食べないものを作ることを少しだけ苦しく感じてしまい、人に料理を振る舞うことが好きなんだと自覚するようになった。
ひとりの時はやる気が出ないこともある。私はここではじめて単身自炊の難しさに直面した。
同じものを食べるのが苦ではないなら割と楽。でもそれにも限界がある。野菜が割高な時はむしろカットされたものを買ったほうがいい時もあるし、量が多くて安いものを買った時に、使いきれず無駄にしてしまうと思ったよりもショックが大きいので、少々割高でも使い切れる量を買った方がいいとも言える。そうすると結局一食の値段はそこまで安くないし、と、考えることが山ほどある。
やる気が起きた時に適当でもやることを覚えた今は、そこまで深刻に考えず、負担にならないやり方が身についた。
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私はよく友達や元同僚を家に招く。人に料理を振る舞うと思うと、それだけでやる気が出る。
自炊のやる気が底まで落ちている時に一役買ってくれるのが、定期的に家にご飯を食べに来てくれる元同僚のふたり。
ひとりは少し歳上で、いつも自然と楽しいことの中心にいるような、明るくて賑やかなお姉さん。もうひとりは柔らかくて穏やかに見えるけど、芯のしっかりしたひとつ歳下の子。それとなく誘ったのがきっかけだけど、もう2年ほどコンスタントに来てくれている。
最初こそもてなす意識と緊張感を持っていたけれど、今となっては良い意味で放っておいても勝手にくつろいでくれるようになっている。ふたりとも決まった位置に座って、勝手に冷蔵庫を開け、私が冷やしておいたお茶を当たり前のように飲む。私はふたりが私の家で主人かのようにくつろいでくれるのを見るのがとても好きだ。
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ふたりが家に来ると、自分でも驚くほど自然に進んでふたりのためにご飯を作れるし、片付けができる。自分ひとりだとバランスも彩りもあったものではない食事をしているけど、ふたりが食べるご飯を作るとなると、ストレス解消も兼ねて料理もできる上、ちゃんとしたものが食べれるし、節約にもなる。そして何より、ひとりで寂しくご飯を食べることもなく、楽しく話ができる。私はふたりが来てくれるおかげで一石で何鳥も得をしている。
自炊のやる気が出ないときは、ふたりに協力してもらっていると思っている。おそらくそう思っていることは、今のところふたりにはばれていない。
今は私の職場が変わり、そんなふたりと一緒に仕事をすることはなくなってしまって、今までみたいに毎日会うことはなくなってしまった。でも作りたい料理ができた時、真っ先にふたりの顔が浮かぶようになった。