パチンコ屋へのお迎えも、父が運転する旅行も、記憶は全部フルカラー

父は3交代の仕事をしていた。普通の勤務、午後から夜、夜勤。その3交代をシフト制で繰り返していた。
そのため、あまり父親が家にいた記憶がない。あと昔、父はパチンコが好きだった。休みになると近くのパチンコへ行った。
昼頃になっても帰ってこないと祖母(父の実母)は怒って、「ゆめる、お父さんにお昼だから帰って来るようにいいな」と言いつけられ、徒歩数分のパチンコ屋へ行き父を探した。見つけると、「お祖母ちゃんが怒ってるよ。お昼だよ」と伝えた。
よって幼い頃の父の記憶はパチンコ屋さん。でも最近話したら、私が幼い頃姉と遊んだ玩具が父がパチンコで買って貰ってきたものだと知り、盛大に笑った。あの玩具がまさかパチンコの景品だなんて。あれ楽しかったよ。

でも、夏休みとかまとまった休みがあると、必ず父の運転で旅行へ行った。それがすごく好きだった。海水浴、山寺、山形、行った場所は山ほどあって、写真を見ると思い出す。
父は車が好きで、必ず父の運転だった。私と姉が大好きなジャニーズの曲をかけながら、運転席の父と助手席の母と。
とにかく楽しかった。だから、父のことを嫌いなんて思ったこと一度もないし、普段あんなに家にいなかったけど父との記憶は全部フルカラーで思い出せる。

お局さんに叱責され、神経をすり減らす日々。もうどうでも良くなった

ただ謝りたいことがある。
私が社会人になった時。社会人になったら独り暮らしをするつもりでいたけれど、母親と職場の人に止められ、「親元から通えるなら通いなさい」と言われた。
なので実家から通っていた。
そこで私は所謂パワハラに遭う。お局さんがいたのだ。その人はその日の機嫌により態度がすごく違う。ほんの些細なことで1時間叱られたりした。
それでもまだ二人の間に先輩がいたうちは、何とかやれてた。その先輩たちは、辞めてしまった。そして、私にいつも優しかった、女の課長さんも定年を前に辞めてしまった。

お局さん、私、後輩。そうなればお局さんの怒りはすべて私に来た。
後輩のミスすら私が叱責される。ある日はほんの些細なことを「私への報告がない」といわれ、ひたすら怒られた。
そのため、その日から本当に些細なことでも報告していたら、ある日「ゆめるさんはそんな些細なことすら私に報告しないと仕事ができないんですか?何年目ですか?」と叱責された。本当に毎日言うことが違って私は神経をすり減らした。
結果、過呼吸と自傷を繰り返すようになった。夜は泣き続けて朝になると過呼吸を起こして、それでも仕事へ行き、昼休みに腕を切ってやり過ごしていた。
そんなある日、もうどうでも良くなって死のうと思った。

結果的に言うと、警察を呼ばれ、死ねなかった。
ただ、私はもう心が壊れていた。
薬を飲んで飲んでふらふらしては階段から落ちたり、意識混濁して救急車を呼ばれたり。
申し訳ないけど、そんな日々だった。

両親はそんな私の事をずっと心配しててくれた。本当に申し訳なかった。
仕事は別の職場へ復帰したけれど、相変わらず過呼吸を起こす毎日だった。
(これは私のエピソードを語る上で大切なことなので書きましたが、自傷行為、自殺未遂を推奨するものではありません。やってはいけません。絶対に。)

父の趣味である読書をすると喜ぶ父。いつも二人で本屋へ

そんな父が、私が本を読むことは何より喜んでくれた。
父の趣味は、その頃はもうパチンコはやめていて、車とカメラ、そして読書だったからだ。
父は私が本を読んでいると眉尻を下げて喜び、「ゆめる、それを読み終わったら本屋へ行こう」と言ってくれた。
そしていつも二人で本屋へ行った。
湊かなえや真梨幸子、などのサスペンスばかり読む私を「またゆめるは湊かなえか」と笑いながら、「何でも買うといい。お父さんが買ってやるから」と言ってくれた。
おかげで父が買ってくれた本が山ほどある。私が今こうして活字を書くことを好きなのも、父のおかげだ。

父は数年前に肺を患った。
入退院を繰り返した。その間に大好きなはずの車を、軽に乗り換えた。
「もったいないです、こんな状態がいいの手放すなんて」とディーラーさんはいった。それでも父は笑いながら、「ゆめるが運転が下手だから、ゆめるが乗れる車にしないとねぇ」とその言葉を断った。
今ならわかる。あんな車好きの父が手放すなんて。あの頃すでに苦しかったんだろう。そしていずれ自分が亡くなった時に私が困らないように。手配してくれたんだと。
おかげで今、私は車に乗れている。
ディーラーさんも父と仲良しだったから、私や母に特別優しい。

いつも父の面影を追う。何かあるたびに、父が残してくれた愛を感じる

父はいつでも優しかった。
誰に対しても、分け隔てなく。
それは母の親戚に対しても。私の親友に対しても。
だから亡くなったと伝えた時、沢山の言葉と花や御霊前の品が届いた。

私はいつでも父の面影を追っている。
その度に父の優しさを知る。
何かあるたびに、ああ父が残してくれた愛だ、そう思う。

父が亡くなるちょっと前に本屋に行った。
湊かなえの「ドキュメント」が発売していて、それを買ってくれた。
私は未だにそれを読めずにいる。
本棚の中に父がいる気がするのだ。
いつか、読めるだろうか。
けれど、読めなくてもいいと思っている。
父を感じられるうちは、あの本が支えのうちは。

お父さん。
貴方がいなくなって、もう10ヶ月だね。
淋しさは薄れゆくものだと思ったけれどそんなことはなくて、お父さんにあいたくて、あいたくて、
ただ涙が出ます。

お父さん、貴方の優しさは必ずこの胸に刻んで忘れない。
だから、お父さん。
いつまでも見守っていてね。
ゆめるからお父さんへ、ラブレターです。