私は来月出産する。

今はまだ顔もしらない我が子へ。
忘れたくない思いと理想。

母と子の距離感は、私がまだ知らないだけなのか

周りと比べると私は結婚も妊娠も遅かった。
とっくに母親になっていった周囲と私では考えが違うのはきっと当たり前なんだろう。

「ねえ、どっちがいい?」と聞く母親。
「こっちがいい」と答える子供。
よくある光景だが、その後に続くやりとりは大概こう。
「えー、お母さんはこっちがいいと思う」
そして子供は何も話さなくなる(そのあとは大体「どっちがいいかハッキリ言いな」と母親がキツく言う)。

あちこちで見かけるこのやりとり。ひと組やふた組ではない親子のやりとり。
「子供に聞いておいて否定するなら聞かなきゃいいのに」という私の考えは私がまだ母になっていないからなのだろうか。
そして世の中の母親は本当にそういう関わり方をしたかったのだろうか。
「自分と同じ気持ちで同じものを選んでほしい」という思いは母親の思想の押し付けであることに気づいているのだろうか。
本当の胸の内は子供の気持ちを大事にしたいと思っているのに、そうできない人も居るのではないだろうか。

現実問題、多く存在する都合を押し付ける母親がリアルなのか

実際にそんな光景を身近で見てきたが自分はそうしたいとは全く思わない。
私の思う母親像とは「子の一番の味方、よき理解者」であり決して言うことを聞かせて自分が生活しやすいように調教するものではないと思っているからだ。
子供とは社会からの預かりものであって親の所有物ではない。
けれどどうだろう。
子供を自分の思い通りにコントロールしたいという考えで子供の思考を支配しようとする大人が多すぎるではないか(親に限らず教師にも多いと感じる)。

私が産んだ子だったとしても息子は私とは別の人間であり彼には彼の考えがある。
物の感じ方もそれに対する思いも私とは違う。
だから母である私の価値観を押し付けたくはない。
私と思うことが違ったとしても息子には自分の道をまっすぐ進んでほしい。
やりたいことはなんでもやって興味があるものはどんどん見て調べて試したらいい。
どんなに大変なことでもどれも全部応援したい。

もちろん限度はあるし彼の言いなりになるつもりはない。
やってはいけないことや許容範囲を超えたものに対しては頷かず「なぜそれをやりたいと思ったのか」に耳を傾け寄り添いたいと思っている。
けれどそんなのは理想にすぎないのだろうか。

眠れなくてもイヤイヤされても耳を傾けていられるように

「生まれたら大変だよ」。周りはそう言う。
脅しなのか、ただの先輩風なのかは分からないけれど、皆口々に言うが苦労自慢なら十分だ
私は経験したことがないから分からないのだろう。
原因不明のまま延々と泣かれ夜も眠れないし自分の時間なんてない。
それが毎日24時間休みなく続く。きっと大変なんだろう。
「お風呂に入ろう」「やだ」
「服着なさい」「やだ」
「寝るよ」「やだ」
何をしてもやだやだ言われてやるべきことを何一つ進められない毎日を私は経験したことがないから分からないのだろう。
時間も手間もかけて作ったご飯を食べない時もあるだろうし寧ろそれが毎日かもしれない。

これから先そんな毎日を繰り返していくうちに息子にイライラしてしまい、だんだんと彼の言葉を最後まで聞けなくなったり彼の気持ちを汲み取ることができなくなってしまうかもしれない。

だからこれは理想かもしれないけれどこれからどんな日々が続いたとしても一番に我が子を思い、彼がやりたいこと、選ぶ道を尊重し応援していきたい。

正直言うとまだ会ったことのない子に対してなぜそう思うのかは分からない。
なんでかな、けれどとにかく一生懸命ただまっすぐに自分の人生を歩んでほしい。
その為にできることは母としてなんでもやろう。

1年5年10年後、日々の育児に疲れてこんな思いは霞んでいくかもしれないけれど、今の私が抱く忘れたくない自分の意思と我が子への思い。

――追記
私がこう思えるのはきっと心に余裕ができるほど献身的に支えてくれる夫がいるからだと思う。
感謝してます。ありがとう。