小中学生の頃、夏休みの宿題で「選挙に行こう」をテーマにポスターを描いたことがある人はかなり多いのではないかと思う。そしてこの光景は、私が教員として学校に戻ってきてからも、変わらず目にしている。
日本に限らず世界の傾向として、若者の投票率が低いことを考えれば、何もおかしくない取り組みである。しかし、少なくとも20年以上経っても何の効果もないことを考えると、取り組みの方向が間違っているのではないかと疑っても良いはず。
そもそも、どうして若者は政治に関心がないのだろう。
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先日の大学の授業で、安倍政権の実績を検証する機会があった。
慰安婦問題、女性活躍推進法、憲法改正……様々な取り組みから、先生を含めた数名の生徒で考察した。私は今まで政治学を学んだことがなかったので、そもそも参議院の特徴や、内閣のパワーバランスなどを知る有意義な時間となった。
そこで話題に上がったのが、まさしく「どうすれば若者の足を選挙に向かわせられるか」。私はそこでポスターの限界説を述べた。
本当に社会科で「選挙」というものを学び始めた小学校高学年では意味があるのかもしれない。もはや良いファーストタッチにすらなる気がする。
問題は、中学校に入っても、毎年有志だけだったとしても、一つの学校の義務のようにポスター作成を延々とすることなのだ。まるで「選挙」がポスターの中だけの世界で、逆に現実との遠さを感じてしまう。私の話を聞いていた先生が最後にポツリとこぼした言葉が胸に残った。
「こどもたちや若者が見て、胸がドキドキするような政治はしていないですもんね」
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「個人的なことは政治的なこと」――これは60年代の第二派フェミニズムのスローガン。
この言葉は学生運動でも掲げられていた訳だが、今この言葉が胸に響く日本の若者はどれくらいいるのだろう。
個人と政治を繋げる――これは学校では習ってこなかった。投票箱や幸せな鳩の書き方はそのポスター作成を通して学んだが、実生活の悩みを国会と結びつけたことはない。
正直、パッと国会議員の顔を思い浮かべると、もっと想像が難しくなる。彼が私の社会に対するモヤモヤや悩みを解決すべく動いてくれるとは到底思えない。
だって、彼が興味があるのは未成年との飲酒とか、脱税でしょ?JRにただ乗りできる上階層の彼らが、一日の食事を500円にまで切り詰めている下階層の人たちの声を聞くなんて、全く想像できない。もはや、そういう人たちもいるんだって彼らも想像できないんじゃないか。
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私が抱いているこの感情は諦めなのだろう。でも私は20歳の頃から、しかめ面で選挙に行っている。あのポスターのおかげではないと思う。
それでも私が選挙へ足を運ぶ若者である理由は、日本には将来のある「こども」がいるから。私の社会に対するモヤモヤと国会議員は繋がらない。どうしてもイメージ出来ない。でも、そのモヤモヤを「こども」とは繋げたくない。繋がるイメージができてしまうから何とか抵抗したい。だから、私の手帳の7月10日には「選挙」と赤で書かれている。
私が彼らに求めることは、私と同じ「こども」を社会的不安要素に繋げない姿勢。一人でもその気持ちがありそうな人の名前を書かせてもらいます。