私は自分の父のことをあまり尊敬していない。
酒もギャンブルもやらないし、遊びに行ってほとんど家にいないなんてこともない。
小さい頃は遊園地や動物園、キャンプやスキーなど色々なところで色々な経験もさせてもらった。
暴力も暴言もほとんどない。世間一般的に見て悪い父親ではないと思う。
ただ、悪いところはないけれど、良いところも特にはないのだ。

我が家の大黒柱は昔から母だった。母は父の倍働き、家のことも全てこなし、子供たちの面倒も見た。
父は昔から発言に根拠がなく適当な発言が多く、私たち家族は基本的に父の話は適当に聞き流すようになっていた。父との会話で有益な情報が得られることは、26年間生きてきてほとんどなかった。

しかし、すごく心に残り、今でも大切に思っている話が一つだけある。この言葉を私は何かを選択するたびに思い出し、今後も大切にしていきたい話だ。

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私は20歳の時、成人式に行くかをすごく悩んでいた。小中でいじめにあっていた私は会いたいと思える友達も多くはなく、わざわざお金をかけて身なりを整えてまで、旧友が集まる会に参加する必要性を感じられなかった。何をやるのかは知らないけれど、ただ偉い人の話を聞いて、旧友との再会を楽しむだけならば、行かなくてもよいかなと思っていた。

すると父が言った。
「俺は20歳の時、仕事で成人式に行きたくても行けなかった。上司に成人式なんて行く必要がないから行くなと言われ、休みをもらえなかった。成人式なんて行く必要がないと言えるのは実際に行った人だけだ。だから、成人式なんて行く必要ないよと言えるようになるために、時間があるなら行ってきなさい」と。

父はもう一生、成人式で何が行われているのかを実際に参加して確認することは出来ないのだ。成人式は一生に一度。二度と参加することは出来ない。父は誰かに、成人式なんてつまらないから行かなくてよい、と言うことは出来ないのだ。
みんなが行く必要がないとどんなに口で言ったところで、実はものすごく楽しいことが行われているのではないかと、父は一生疑いながら生きていくしかないのだ。
私はこの父の言葉で、成人式に参加することを決めた。

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成人式に行くことを決めたあと、普段はお金のかかることは極力避けさせようとする父が、成人式の日に着付けとヘアセット、写真撮影を予約してくれた。
振袖は元々念の為で、母が実家から母が着た振袖を送ってもらっていたのでそれを使った。

成人式の前日、父と2人で美容室にヘアセットやメイクの打ち合わせに行った。
成人式を特に意識して生きていなかった私の髪は肩くらいまでしか長さがなく、美容師さんにつけ毛とボリューム感を出すために、大きめのお花のコサージュの購入を勧められた。
コサージュは何種類かあり、値段も貼っていたため、私は一度しか使わないのにこんなものにこんなお金を……と少し躊躇った。

これがいいなと思ったものは他よりも少し高く、それが欲しいとは言えず、金額の安めのものを指さした。
すると横にいた父が、こっちの方がいいんじゃないか?と、私が欲しいと思ったものを指さした。結局そちらを購入してもらった。
真っ赤な大きなお花のコサージュは、白い振袖にとてもよく似合った。

当日は早朝から美容室に行き、着付けとメイクをしてもらい、そのまま写真館に向かった。
その後、成人式会場まで車で送ってもらい、帰りも迎えにきてもらった。
普段は腰の重い父が1度も文句を言わずにずっと付き合ってくれるくらい、父にとって成人式は特別なものなのだと感じた。
実際に参加してみて、やはり参加する必要はさほどないなと感じたけれど、参加することで行く必要があまりないということを知ることが、私は出来た。

私は今でも何かに悩んだ時に、成人式のことを思い出す。やってみなければやる必要があったかどうかすらわからない。やってみたからこそ見えることが必ずある。
だから、環境さえ許すのならば何でも挑戦し、参加することにしている。
これが私が生きていく中で忘れたくない話だ。