「死にたい」
病んでいる人なら、少なからず口にしたことのある言葉だと思う。
私自身も幾度となく口にしてきた言葉だ。
しかし、その幾度となく口にしてきた言葉でも、鮮烈に残っている記憶がある。

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ある日、何がきっかけだったかはもう覚えていない。ともかく、私は母と揉めてイライラしていたのだ。
その頃は働くことができないストレス、家庭で居場所がないように感じるストレス、友人関係のストレス、趣味のストレスが重なりに重なり合い、疲労も何もかもがピークだったことも原因の一つかもしれない。
イライラしながらお風呂の湯船に浸かり、ふと目に入ったのはシャンプーやボディーソープを収納する物立て。
私は躊躇なくそれを引き倒した。
ガシャーンという思っていたよりも大きな音がして物立てが倒れ、中に収納されていたシャンプーやボディーソープのボトルが散乱する。
その音に飛んできた母に「何をしているの!」と怒鳴られる。その瞬間、感情の大爆発が起きた。

「うるっさああああああああい!!!!!うるさいうるさいうるさいうるさい!」
うるさくしたのは私の方だというのに見事な逆ギレ。
「うるさいのはあんたの方でしょう!自分で片付けなさいよ!全くおかしいんじゃないの!?」
その「おかしいんじゃないの!?」という一言に、再び感情の大暴発。

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「うるっさい!!!どうせ私は頭のおかしい障害者だ!!!そう産んだのはあんただろ!文句があるなら殺せよ!今すぐ殺せ!死にたいんだよ!殺せよ!殺せ!殺せ!もう嫌だ!死にたい!殺してくれ!殺せよぉぉぉおおおおお!!!!!」

全裸で湯船に浸かったまま、何度も「死にたい」「殺せ」「どうせ私は」という言葉を繰り返し、お湯を跳ね飛ばしながら暴れる私に母は何も言わなかった。
「そう産んだのはお前だ」という私の母を攻撃するためだけに放った言葉に少なからず傷ついていただろうに、反論してくるでもなく、いさめるでもなくただただ無言だった。
いや、一言だけ静かに言ったのは「あんたを殺したらお母さんは犯罪者になる。それにお母さんはあなたを殺したくない」という言葉だった。

数分だったか数時間だったか、しばらくの時間が経ち、私の興奮状態が落ち着いてきた頃に、母は静かに「気が済んだ?」と私に問いかけた。散らばったボトルを片付け、「髪の毛、まだ洗ってないでしょ。洗ってあげるからおいで」と言った。
私は何も答えることができないまま、湯船から出て無言のまま母に髪を洗われ、そのまま風呂を出た。

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翌日からも母の態度はいつもどおり、変わらず生活をしていた。私の方は少なからずあんな大暴れをしたことを恥じていたし、気にしていたのだが、母は一向に気にしていないように見えた。
今にして思えば、それが母の優しさだったのだろう。
もうとっくに成人している娘なのだから、こんな迷惑をかけられるくらいなら追い出して勘当するという選択肢もあったはずなのだ。
それをせず、普段通りに私に接し生活を送る母は、そうすることで私を見捨てなかったのだ。

それ以降も私は度々死にたいと口にしてしまう。
それでも母は決して私を見捨てずにいてくれているのだ。
それがどれだけ私の救いになっているか、母はきっと知らないだろう。
だからこの場を借りて母に謝罪とお礼をしたい。
お母さん、あの時はごめんね。見捨てないでいてくれてありがとう。