星がキレイだった。
周りの電気がついてなくて、車が1台も通ってない。静かな、本当に静かな夜だった。
3月なのに雪が降ってて、寒かったことを覚えている。
その日はいとこたちとエルグランドで寝た。キャンプみたいに。
明日からどうなっていくのか全くわからなくて、学校があるのかも、家に帰れるのかも、何もわからなくて。
だけど、空を見たら今までに見たことがないくらい星がキレイで。
あぁ、ここは本当に田舎だったんだなぁ、とか、電気がなくなるとこんなにキレイに見えるんだなぁ、とか、この時だけは全然関係ないことを思った。
2011年3月11日。
いつもと同じ1日のはずだった。
この日は後から「東日本大震災」という名前が付いた。
◎ ◎
中学校の卒業式。
他の1年生はみんな休みなのに、私は吹奏楽部だったから学校に行った。入場曲、退場曲をトランペットで吹いた。
午前中で終わって家に帰って、録画してたテレビを見てた。お昼ご飯は姉が作ってくれた、たらこスパゲッティ。食べ終わって片付けなきゃなーと思っていた時にそれは始まった。
始めは小さな揺れだった。
地元だと地震はよくあるから、あぁまたか、くらいに思ってた。
だけど揺れは全く止まらなくて、むしろどんどん大きく、激しくなっていった。
驚き。動揺。混乱。
何が起こっているかわからず座ったままの私を、姉がテーブル下に引っ張った。
ガチャガチャ揺れる食器棚。
レンジから落ちた天板。
当時好きだった俳優の笑顔で固まるテレビ。
「キャー」と叫ぶ声が聞こえた。
誰の声?
私の声だ。
「大丈夫。大丈夫だから。私がいるから」
机の下で、姉がずっと抱きしめてくれていた。初めて姉に抱きしめられた。力が強くて少し痛かった。姉の肩越しに見える台所が、どこか別の世界のように感じられた。
◎ ◎
その後のことはあんまりよく覚えていない。
たぶん迎えにきた父の車で祖父母の家に行った。いつも通りの祖父母たちといとこがいて、大変なことがあったのはわかってたけど、それがどのくらい大きなことだったのかは全くわからなかった。
室内は危ないので外の事務所へ。テレビがつかないのでラジオでニュースを聞いた。
震度7。津波。避難勧告。
そこまで聞いて、事の重大さを知った。
夕食は母が職場からもらってきた冷凍のサイコロステーキ。いとこの誕生日が近かったので、冷凍のチョコケーキでお祝いした。エアコンがつかないから寝るのは車の中。
車に向かう途中で見た星空。細かい星まで肉眼で見えてびっくりした。
あの空は今でも鮮明に思い出せる。めっちゃキレイ。
こんな状況でそんな事を思える自分がおかしかった。
◎ ◎
しばらくしてから、私の環境がいかに恵まれていたかを知った。
避難所には行かなくても大丈夫だったし、3日目くらいにはシャワーも浴びれた。親戚に亡くなった人もいなかった。
そして私はゆっくりと日常に戻っていった。
俳優の笑顔で固まったテレビ。
卓上コンロで焼いたサイコロステーキ。
水浸しになった田んぼ。
購入制限があるいつものスーパー。
ありえないくらいキレイな星空。
そして机の下でずっと抱きしめていてくれた姉。
一つ一つがまるで昨日あった事のように脳裏に焼き付いている。
あの1日は絶対覚えていたい。
語り継ぐとか大層なものではないけれど、私の経験なんて被災経験っていうほどのものでは全然ないけれど、それでも衝撃的だったから。
当たり前の日常とか、家族とか、友達とか、本当に大切なんだって気づけたから。
だから私はこの1日を絶対忘れない。忘れたくない。覚えていたい。