私のやる気がでないとき、それは、曇のち雨のとき。
「気象病」という言葉を聞いたことがあるだろうか。天気や気圧の変化で頭痛や気分の変調が起こるという症状をさす言葉だ。
あくまでも、いくつかある症状をひとくくりとしてわかりやすくまとめた言葉で、本当に病気というわけではない。
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この気象病をちゃんと自覚したのは、社会人となってしばらくしたとき。朝起きて出勤の準備をしているとき、職場までの道のり、仕事をしているとき、晴れの日とそうでない日とで、気分の持ちようが明らかに違ったのだ。
朝は頭や体が重く、20分でできる身支度が30分かかっていることがある。職場までのみちのりは、歩幅や1歩を踏み出す勢いが小さい。仕事でも、ミスをして自分を責めることが圧倒的に多いのだ。
自分の少し上から、グッとなにかにやんわり押さえつけられているような、体に重すぎない鉛をつけられているような、そんな1日を過ごす。
終わりのない螺旋階段をやるせなさとともに降りるような感覚で、時計をみながら、早く帰宅時間になってくれないかと毎分願っている。
私が不思議だと思うのは、これらの症状が見られるのは、必ず曇のち雨のときであるということ。晴れのち曇りの日でもなく、どしゃぶりの雨の日でもなく、曇のち雨の日なのだ。
晴れのち曇りならば、雲がまだ薄いからなのだろうか。雨が降ってしまえば、あとは晴れるだけだからなのだろうか。どちらにせよ、この症状たちは、すでに笑うしかないくらいピンポイントでやってくる。
特に梅雨に入ると、このような天候が多くなる。梅雨明けまでが非常に長く感じる。それでも仕事や日常は進んでいるから、自分が止まることはできず、疲れは溜まっていき、やる気が出ない。
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全てに通用する対処法はなく、自分が感じた症状に対して、自分が楽になれると感じる方法をしていくことしかないのだ。それが何かすらもわからないときもある。対処しようと思えないときもある。なかなか難しい。
気象病という名前を知らないという人には、この名前を知ってほしい。知っている人には、これは決して甘えではなく、真剣に悩んでいることであることを理解してほしい。
“あるある”や“みんなが抱えていること”として軽く受け止めるのではなく、それぞれが抱えている仕事とは別に闘っているということを。
自分なりの対処法としては、休日は思いっきり欲にまかせた過ごし方をすることを心がけている。無理に体を動かせば、疲労は数倍になって帰ってくるからだ。
それがわかっているだけでも進歩だと思うようにし、ひたすらSNSを見続ける時間やテレビをつけっぱなしにする時間、食べたいものをとりあえず口にする時間、などを過ごす。
月経前後の過ごし方と似ているかもしれない。
仕事のときは、超短期集中型になる。どうしても自分勝手だけでは過ごせない仕事の時間は、10分や15分など小さな区切りを設けて仕事を進めるのだ。
そして、時計は極力見ないことを心がける。超短期集中を繰り返してなんとか仕事をやりきる。仕事が終われば、休日同様に好きな食べ物を食べたり、ベッドではなくソファーに体をうずめたりと自分勝手を謳歌する。
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気象病は、これからもずっと付き合っていく現象だ。今、この時点で自分の扱い方がわかったのはいいことだと思っている。深く自分の気持ちと向き合ったり、その理由を考えるきっかけとなったこともプラスに捉えている。
“しっくりこない”が多い選択肢の中で、一番理想に近いものを選べるヒントがたくさんあった。そこから今の生活スタイルや、仕事との向き合い方などの“これから”を作ることができたからだ。
やる気の出ないときは、無理に頑張っても空回りするだけだ、と私は考えている。こんなときこそ自分のわがままを思う存分聞いてあげて、自分のご機嫌取りをするのがいちばんなのだ。これに限る。
また、必ずしもマイナスばかりではない。チャンスと捉えることもできる。他人から言われてしまうと萎える「がんばれ」も、自分から湧き出てくる「がんばろう」に変えられる時間だと思う。ぼーっとしていることで出てくる答えは、自分が潜在的に思っていることだから、それを尊重しない選択肢はない。
自分に正直になるために、私はそうしようと決めたのだ。